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箱根駅伝で“大博打”に出たNHKが全国中継したワケ たった3分間、一度だけ実現した知られざる過去

日本テレビの箱根駅伝完全中継を実現させた坂田信久氏【写真:荻島弘一】
日本テレビの箱根駅伝完全中継を実現させた坂田信久氏【写真:荻島弘一】

一度だけNHKが全国中継した1980年大会

 もちろん、NHK内部にもテレビ放送を願う声がなかったわけではないが、人員、機材の問題や大会に「全国性」がないことなどが問題となり、実現までは遠かった。そんなNHKがテレビで1度だけ「箱根駅伝」を全国中継したことがある。日本テレビが中継を始める1987年(昭和62年)の7年前、モスクワ五輪を控えた80年1月2日だった。

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 新春恒例の全国多元リレー番組「日本の新春」でマラソンの金メダル有力候補だった早大4年の瀬古利彦選手を取り上げる企画が浮上。放送時間がエース区間の往路2区の時間だったことから、NHKは「大ばくち」に打って出た。仮に2区で起用されなければ企画自体がボツ。2区が混戦となれば、全国区のスーパースターにテレビが近づけない可能性もある。

 結果としても1区で早大がトップに立ち、2区の瀬古選手は独走。戸塚中継所の手前からは全国のテレビ画面を独り占めした。「わずか3分、唯一のNHKテレビ生中継です。トップで早大のタスキをつないだ1区の選手に感謝しました」と杉山氏は懐かしそうに話した。結局、モスクワ五輪は日本のボイコットによって幻に終わり「箱根から五輪金メダル」も夢に終わった。

(第2回に続く)

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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