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「JAPANESE ONLY」事件からアジア制覇へ 李忠成と浦和レッズ、反感が愛情に変わった激動の5年

30歳を超えてキャリアのピークを実感した李忠成。シンガポールでのプレーを最後に現役生活に別れを告げる【写真:Ayumi Nagami】
30歳を超えてキャリアのピークを実感した李忠成。シンガポールでのプレーを最後に現役生活に別れを告げる【写真:Ayumi Nagami】

浦和で次々とタイトルを獲得しキャリアのピークを実感

 地元の人たちに歩み寄ることで、事態は好転し始めた。

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「JAPANESE ONLYの垂れ幕が出た時は、怒るというより『ああ、そんなことをしちゃうんだ……』と悲しい気持ちでした。実際にショックなら、U-19韓国代表の合宿に参加した時に差別された時のほうが大きかった。それまで韓国人だと思って生きてきて、代表に選ばれて一緒に戦おうと思っていたのに、半日半韓みたいなヤツが来たという雰囲気だった。『だったら国籍ってなんだ! いったいオレは何人なんだ!』と凄く思いましたからね」

 野次が減り、背中を押してくれるファンが増えるとともにパフォーマンスも良化し、2016年シーズンにはJリーグカップ、17年にACLを立て続けに制し、30歳を過ぎてもピークを実感した。

「最初はクラブも世代交代を図ろうとしていたし、試合に出ることを確約されていたわけではありませんでした。でもベテランに近づくとともに、サッカーの見え方が変わり、味方の使い方も上手くなって相乗効果を生めるようになりました。興梠慎三、ラファエル・シルバ、武藤雄樹……。この頃はメンバーにも恵まれ、プレーをするのが最高に楽しかった」

 年齢を重ねるとともに、モチベーションの上げ方も大きく変化してきた。

「若い頃は、見返してやろうという気持ちしかなかった。振り返っても、若い頃はそれでいいと思うんです。人間は、どんな燃料を積んでいるかが大事です。人が目標を達成しようとする時に、『僕はこうなりたい』より『見返してやる』という燃料を持つほうが、きっと長く強く走れる。でもそれだけじゃ、ずっと続かない。やがてプロになると、サポーターの方々が出てきて、1人でも多くの人たちに自分のプレーで感動を与えたいと願うようになる。浦和でも途中から、サポーターは家族だと思うようになっていました」

 長いキャリアの中で様々な監督と仕事をして、指揮者の個性も見えてきた。

「ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)も横浜F・マリノスで1年間だけ一緒に仕事をした(アンジェ・)ポステコグルーも、好き嫌いが激しく、選手を受け入れる門が凄く狭い。どちらもゼロからイチを創り出す人。このタイプは、例えば絵を描くならクレヨン、食べるならパンと決めたら絶対に譲らない。だから米を食べる人は(自分のチームには)要らない。誰もが一発で言えるような明確な形を持ち、そこから少しでも外れる選手には見向きもしない。変わり者ですが、それで良い。それで質を保てているんです。一方で森保一監督のように、もともとあったものを加工して7~10まで仕上げていくのが上手い監督もいるわけですよね」

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李 忠成

サッカー元日本代表 
1985年12月19日生まれ、東京都出身。在日韓国人4世として生まれ、父の影響を受けて4歳でサッカーを始める。FC東京U-18から2004年にトップ昇格。翌年に柏へ完全移籍すると、3年目の07年2月に日本国籍を取得した。同年のJ1リーグで30試合10得点、U-22日本代表に選出され、翌08年に北京五輪に出場した。09年夏にサンフレッチェ広島へ完全移籍。10年のリーグ終盤戦で12試合11得点とゴールを量産すると、11年1月のアジアカップ日本代表に選出され、オーストラリアとの決勝で伝説のボレーシュートを決めて優勝に導いた。12年1月にサウサンプトンへ移籍。負傷の影響もあり13年限りで欧州挑戦に終止符を打つと、14年からは浦和レッズで5シーズンにわたってプレーし、17年のAFCチャンピオンズリーグなどのタイトル獲得に貢献した。横浜F・マリノス、京都サンガF.C.を経て22年からアルビレックス新潟シンガポールに在籍。今年9月14日に今季限りでの現役引退を発表した。
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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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