「JAPANESE ONLY」事件からアジア制覇へ 李忠成と浦和レッズ、反感が愛情に変わった激動の5年
浦和で次々とタイトルを獲得しキャリアのピークを実感
地元の人たちに歩み寄ることで、事態は好転し始めた。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「JAPANESE ONLYの垂れ幕が出た時は、怒るというより『ああ、そんなことをしちゃうんだ……』と悲しい気持ちでした。実際にショックなら、U-19韓国代表の合宿に参加した時に差別された時のほうが大きかった。それまで韓国人だと思って生きてきて、代表に選ばれて一緒に戦おうと思っていたのに、半日半韓みたいなヤツが来たという雰囲気だった。『だったら国籍ってなんだ! いったいオレは何人なんだ!』と凄く思いましたからね」
野次が減り、背中を押してくれるファンが増えるとともにパフォーマンスも良化し、2016年シーズンにはJリーグカップ、17年にACLを立て続けに制し、30歳を過ぎてもピークを実感した。
「最初はクラブも世代交代を図ろうとしていたし、試合に出ることを確約されていたわけではありませんでした。でもベテランに近づくとともに、サッカーの見え方が変わり、味方の使い方も上手くなって相乗効果を生めるようになりました。興梠慎三、ラファエル・シルバ、武藤雄樹……。この頃はメンバーにも恵まれ、プレーをするのが最高に楽しかった」
年齢を重ねるとともに、モチベーションの上げ方も大きく変化してきた。
「若い頃は、見返してやろうという気持ちしかなかった。振り返っても、若い頃はそれでいいと思うんです。人間は、どんな燃料を積んでいるかが大事です。人が目標を達成しようとする時に、『僕はこうなりたい』より『見返してやる』という燃料を持つほうが、きっと長く強く走れる。でもそれだけじゃ、ずっと続かない。やがてプロになると、サポーターの方々が出てきて、1人でも多くの人たちに自分のプレーで感動を与えたいと願うようになる。浦和でも途中から、サポーターは家族だと思うようになっていました」
長いキャリアの中で様々な監督と仕事をして、指揮者の個性も見えてきた。
「ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)も横浜F・マリノスで1年間だけ一緒に仕事をした(アンジェ・)ポステコグルーも、好き嫌いが激しく、選手を受け入れる門が凄く狭い。どちらもゼロからイチを創り出す人。このタイプは、例えば絵を描くならクレヨン、食べるならパンと決めたら絶対に譲らない。だから米を食べる人は(自分のチームには)要らない。誰もが一発で言えるような明確な形を持ち、そこから少しでも外れる選手には見向きもしない。変わり者ですが、それで良い。それで質を保てているんです。一方で森保一監督のように、もともとあったものを加工して7~10まで仕上げていくのが上手い監督もいるわけですよね」