「いつもボッコボコにされて始まる人生」 非エリートのアマボクサー原田周大が日本一になるまで
アマチュアボクシングの2024年パリ五輪男子フェザー級代表・原田周大(専大4年)が、「THE ANSWER」のインタビューに応じた。今年10月のアジア大会で銀メダルを獲得した22歳。初の五輪出場切符を手にした。
アマチュアボクシング・岡澤セオン&原田周大インタビュー第4回
アマチュアボクシングの2024年パリ五輪男子フェザー級代表・原田周大(専大4年)が、「THE ANSWER」のインタビューに応じた。今年10月のアジア大会で銀メダルを獲得した22歳。初の五輪出場切符を手にした。
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ライトミドル級で同じく代表に内定した2021年世界選手権男子ウェルター級王者・岡澤セオン(INSPA)を含めて全6回でお送りする。第4回は、原田が「ボコボコ」にされてもなお這い上がってきた過去に迫る。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)
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「いつもボッコボコにされたところから始まる人生ですね」。そう笑う日本代表。原田は非エリートの道を歩んできた。
高校1年のインターハイ県予選は1回戦負け。次の新人戦は県大会で優勝した。かと思えば九州大会は1回戦負け。翌年に九州を制した。負けて這い上がることの繰り返し。今では笑って挫折を歓迎する。
「最初は負けてしまう。全日本選手権で優勝する前も、U-22のアジア選手権でウズベキスタン選手にレフェリーストップコンテスト(RSC)負け。ボコボコにされました。もうボコボコには慣れています(笑)。ボコボコにされても、そこまで心が折れないくらい」
実は左耳が潰れている。柔道やレスリングの選手に多い“餃子耳”だが、ボクサーでは珍しい。スパーリングで実力者の先輩ボクサーに「ボッコボコにされたから」と笑う。国体準優勝など高校では日本一になれないまま、専大2年で全日本選手権バンタム級優勝。突きつけられた課題を都度クリアし、ようやく花が咲いた。
ボクシングとの出会いは母の勧めだった。小学6年まではサッカーに熱中。しかし、中学にサッカー部がなく、「することがない」と持て余していた。5つ上の兄がフィットネス目的で通っていたのが、地元・北九州市のHKスポーツボクシングジム。母に「行ってみれば」と背中を押され、中学1年でグラブをはめた。
母親に勧められて格闘技を始める選手は珍しい。「息子が殴られる姿を見たくない」という声をよく聞くが、原田は「僕の母親はそういうものがあまりない」と苦笑いする。実家は闘犬として育てられる「ピットブル」を飼うほど。試合の時、母はいつも「頑張って!」と送り出し、笑顔で観戦してくれるという。