「年俸はいくらなんだ?」 欧州での失意を経た日本復帰、李忠成が再会した恩師にかけられた言葉
多くの人の記憶に残るゴールを決めた1人のサッカー選手が、今季限りで現役生活に別れを告げる。元日本代表FW李忠成は在日韓国人として生まれ、21歳の時に日本へ帰化。現在所属するアルビレックス新潟シンガポールに至るまでの20年間のプロ生活は、念願の北京五輪出場をはじめ、2011年アジアカップ決勝の伝説的なボレーシュート、負傷に泣いた欧州挑戦、人種差別問題など激動に満ちていた。スパイクを脱ぐことを決断した今、旧知のスポーツライターに自身のキャリアを振り返りながら本音を明かす。インタビュー第4回では、怪我に苦しんだサウサンプトン時代からJリーグ復帰を決めるまでの日々を振り返る。日本に戻る上で真っ先に名前が浮かび訪ねたのは、恩師ミシャのもとだった。(取材・文=加部 究)
李忠成・現役引退インタビュー第4回、復帰まで1年かかった骨折の代償
多くの人の記憶に残るゴールを決めた1人のサッカー選手が、今季限りで現役生活に別れを告げる。元日本代表FW李忠成は在日韓国人として生まれ、21歳の時に日本へ帰化。現在所属するアルビレックス新潟シンガポールに至るまでの20年間のプロ生活は、念願の北京五輪出場をはじめ、2011年アジアカップ決勝の伝説的なボレーシュート、負傷に泣いた欧州挑戦、人種差別問題など激動に満ちていた。スパイクを脱ぐことを決断した今、旧知のスポーツライターに自身のキャリアを振り返りながら本音を明かす。インタビュー第4回では、怪我に苦しんだサウサンプトン時代からJリーグ復帰を決めるまでの日々を振り返る。日本に戻る上で真っ先に名前が浮かび訪ねたのは、恩師ミシャのもとだった。(取材・文=加部 究)
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李忠成の現役生活の中で、唯一悔いがあるとすれば、サウサンプトン時代の怪我だった。
「右足の人差し指を骨折して、足の甲にボルトを4本入れて4か月後に抜くんですが、穴を塞ぐのに3か月間を要して、結局復帰までは1年間もかかってしまった」
今振り返っても、この故障をする直前が最盛期だったと実感している。しかもサウサンプトンは、このシーズンでプレミアリーグへの昇格を果たし、翌シーズンもほぼ同じメンバーで戦った。
「そのまま怪我をしないで昇格し、しっかりとキャンプにも参加をしてプレミアリーグに突っ込みたかった」
実際この時が最大の分岐点だったに違いない。アジアカップで優勝を決めるゴールを決めた李は、日本代表でも1トップのレギュラーの座を手中にしかけていた。
また日本サッカー界も転換期に差しかかっていた。北京五輪で李と一緒に戦った本田圭佑、長友佑都、内田篤人、岡崎慎司らが次々に欧州で実績を積み上げる一方で、遠藤保仁や今野泰幸のようにJリーグで活躍をしながら日本代表の中核を成す選手もいた。
「(欧州組が代表の大半を占める)今なら、絶対に欧州に残っていました。だから遠藤渓太(ブラウンシュバイク=ドイツ2部)のように『僕はここ(欧州)で』と頑張り続ける選手には心から成功をして欲しい。でも僕の場合は、サウサンプトン在籍中に27歳になり、選手としてのピークは28~30歳くらいまでだと思っていました。それなら最後に日本に戻ってひと花咲かせて終わろうかな、と」
確かに1トップとして世界のトップストライカーに伍して渡り合えるまでの感触はなかった。
「イングランドへ行く前は、ずっと佐藤寿人さんの裏抜けと、前田遼一さんのポストワークができれば日本代表になれると、逆算してやってきました。でもプレミアリーグでロビン・ファン・ペルシーやウェイン・ルーニーを見た時は『コイツ、やばいな』と次元が違い過ぎて、彼らから何かを取り込もうとは思えなかった。
例えば、オカ(岡崎慎司)がレスターでジェイミー・ヴァーディと組んでプレミアで優勝しましたが、思い切りレバレッジ(テコの原理で活かせる)を効かせられるパートナーと組めればやれたかもしれない。でもプレミアで活躍できなければ、ワールドカップ(W杯)に出ても『見物客』になる。自分の能力は、ここまでなんだな、という思いもありました」