32歳大迫傑は「期待を裏切らない」 2度目のMGC、恩師・渡辺康幸「プロとしてかっこいい姿を」
大迫が「勝つならロングスパート」だが…
とはいえ、大迫にとってはMGC出場権を獲得するために出場しなければならなかった東京マラソンから、わずか7か月後のレース。マラソンの準備期間としては短い。そうした条件の中でも、今の自分に足りないもの、何をすべきかを考え、自身が強くなるための練習計画を立て、MGCへの準備を進めてきた。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「どんなに辛い状況でも勝たなければならないプレッシャーは、彼自身、2015年にプロになって以降、ずっと経験してきたものであり、日常でもあります。力を示せなければクビになる海外のチームで生き残り、世界のトップランナーや指導者から多くのものを吸収してきました。今ではアメリカ、ケニアにも自分の練習拠点を構え、雑音をシャットアウトすることも含めて時々の状況に応じて、練習場所、練習相手を選び、自分を高めていく環境を作り上げています。
彼の場合は、毎日が変化の連続でありたい、という考え方です。変化を厭わない。1人で行動することへの抵抗がないですし、口に出してきたことは必ず実現し、期待を裏切らない。それが彼の強さの源でもあると思います」
男子61名の出場予定選手(10月13日時点)の中で自己ベスト、MGC出場権獲得期間の最高タイムでは、ともに日本記録保持者の鈴木健吾(富士通)に次ぐ2位。鈴木は約1年半レースから遠ざかり状態が測れない中、大迫が代表争いの中心にいることは間違いない。
では、大迫が代表争いを制するレースパターンとはどのようなものなのか。前回は39キロ以降の勝負で中村匠吾(富士通)、服部勇馬(トヨタ自動車)との壮絶な競り合いに敗れ、代表内定に5秒及ばず、今年3月の東京マラソンでも日本人トップ争いで山下一貴(三菱重工)、其田健也(JR東日本)と残り3キロからの競り合いで敗れている。
「これまでの戦いぶりを振り返ると、大迫選手はレースの終盤、ゴールまで残り2~3キロからの(日本人同士の)競り合いになる展開では敗れるケースが多かった。そうなると勝つならロングスパート、例えば残り10キロくらいから徐々にペースアップし、気づいたら差が開いていた、というようなパターンがイメージしやすいです。
もっとも、大迫選手は負けたレースから自分に足りないもの、課題を理解して次に活かすセンスを持ち合わせているので、違った形で勝負を仕掛ける可能性もあります。いずれにしても30キロ、35キロくらいまでに、どのくらいの余力を残しておけるかがカギとなります」
東京五輪直後に第一線を退くも、翌年に復帰を表明しパリ五輪を目指す大迫は、2度目の出場となる15日のMGCで、どんなレースを見せてくれるのか。
■渡辺康幸(わたなべ・やすゆき)
1973年6月8日生まれ、千葉県出身。市立船橋高-早稲田大-エスビー食品。大学時代は箱根駅伝をはじめ学生三大駅伝、トラックのトップレベルのランナーとして活躍。大学4年時の1995年イェーテボリ世界選手権1万メートル出場、福岡ユニバーシアードでは1万メートルで優勝を果たし、実業団1年目の96年にはアトランタ五輪1万メートル代表に選ばれた。現役引退後、2004年に早大駅伝監督に就任すると、大迫傑が入学した10年度には史上3校目となる大学駅伝三冠を達成。15年4月からは住友電工陸上競技部監督を務める。箱根駅伝の中継車解説でもお馴染みで、大迫とは卒業後も情報交換するなど親交を続けている。
(牧野 豊 / Yutaka Makino)