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「推し」のうちわが揺れる会場 アイドル化する男子バレー、爆発的人気と強化にある密接な関係

川合俊一時代から続く男子バレーの潮流「人気があれば、代表の結果も出る」

 金メダルに輝いた72年ミュンヘン五輪の日本代表も人気があった。当時の監督で後に日本協会会長を務める松平康隆氏は「国民の応援がなければ、日本代表は強くならない。金メダルをとれない」と言い、自ら考えた人気獲得策を次々と実行した。

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 同監督が企画したアニメドキュメント「ミュンヘンへの道」はテレビ放送され、人気が爆発。子どもたちがセッター猫田勝敏の「天井サーブ」やエース森田淳悟の「一人時間差」をまね、若い女性たちが「推し」の選手に声援を送った。人気が実力となって、世界の頂点に。男子バレーボールには、ファンに支えられた栄光の歴史がある。

 もっとも、92年バルセロナ五輪以降は人気が落ち着いた。Jリーグの誕生などで選択肢が増え「バレー一択」時代は終わった。人気とともに実力も低迷。96年アトランタ以降、五輪予選を突破したのは08年北京大会だけ。世界は遠ざかった。

 それでも、日本のバレーボールは人気獲得を追求し続けた。テレビ局と組んで露出を増やし、ジャニーズの力も借りた。なかなか結果が出なかったが、開催国として3大会ぶりに出場した20年東京五輪で92年以来のベスト8入り。個性ある「イケメン」がその後も好成績を残したことで、人気は再び爆発した。

「代表が結果を出せば、人気は出る」と多くの競技団体の関係者はいうが、バレーボールは「人気があれば、代表の結果も出る」を半世紀以上も貫いてきた。空前の人気で臨んだ今大会。4大会ぶりの五輪予選突破は、偶然ではない。

 最終日には世界ランク2位の米国に惜敗したが、最大の目標だった五輪出場権は獲得。「歴代最強」は少し言いすぎのように思うが、パリでの52年ぶりの五輪メダル獲得も夢ではない力は示した。日本が武器とする粘り強い守備とフェイクセットなどの多彩でスピードある攻撃。そして何よりも圧倒的な人気。ファンのことを「大好き」という選手と「大好き」な選手を推すファン。他の競技とは少し雰囲気が違う気もするが、強固な関係は想像を超えた力にもなる。

 72年ミュンヘン五輪金メダルの時は森田、大古誠司、横田忠義が「ビッグ3」と呼ばれた。88年ソウル五輪では、川合、熊田康則、井上謙が「ビッグ3」だった。高橋、石川、西田が「ビッグ3」として人気を力に代えていければ「歴代最強」の称号が現実になる。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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