人口14万人の街に40億円新スタジアム誕生 「岡田武史マジック」がFC今治に生み始めた好循環
企業理念がスタジアムを作り、優秀な人材を集める好循環
ところで中島の前職は、FC今治のエグゼクティブパートナー企業であり、コンサル大手のデロイト トーマツ コンサルティング合同会社(DTC)。英国の大学を卒業後、中島は2012年にDTCに入社し、3年後に今治に出向してJリーグ百年構想クラブの交付に尽力する。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
そして2016年、迷うことなくDTCを退社し、今治.夢スポーツに転職。まだ、社員が6人しかいなかった時代だ(現在は現場の指導者も含めて80人以上いる)。中島が岡田に出会ったのは、DTCでの講演がきっかけ。その中で岡田は「3.11(東日本大震災)で本当に必要なものが何なのか、みんな気付いたはずだ。あの時に『何かしなければ』と感じたことを忘れてはいけない」と語っている。「これだ!」と中島は直感したという。
「僕にとっての岡田さんは、日本代表の監督というよりも『理想のリーダー像』という印象がありました。リーダーシップでもって、どれだけ社会を改革できるかを考えた時、偉大なリーダーが目の前に現れた。こういう人と1秒でも長く、一緒に時間を過ごしながら、何かをつかみ取りたかったんです」
ここで興味深いのが、岡田のサッカー指導者としての実績と知名度は、中島にとって大きな意味を持たなかったことだ。2010年のワールドカップで、日本代表をベスト16に導いた記憶は、もちろん鮮明だ。しかし、それ以上に「社会改革のリーダー」としての岡田に心酔したからこそ、中島は安定した身分を捨てて今治にやって来たのである。これは彼に限った話ではない。クラブが新規採用する際、志望者の傾向も明らかに変わりつつある。
「以前は『岡田さんと働きたいから』とか『サッカーが好きだから』という人が多かったんです。でも2018年とか19年あたりから、志望理由が変わってきて『FC今治の企業理念に共感しました』という人が明らかに増えたんです。つまり、今治での活動を始めて4~5年くらいには、クラブの理念というものが、ある程度は知られるようになっていたということなんですよ」
大企業から中小企業に至るまで、企業理念というものはあまた存在する。そんな中、今治は企業理念を突き詰める過程の中でJ3基準のスタジアムを作り上げ、さらには理念に共感する優秀な人材が集まってくるという好循環を作り出している。そんな今治において、岡田の第一のフォロワーである中島は「岡田さんからの学びというものは、たぶん死ぬまで続くんじゃないかと思います」と語りながら、こう続ける。
「ただし、学びの中から自分自身が変化して、周りに対しても良い変化を与えていけるようにならないといけない。今治里山スタジアムができたことで、自分の中でも転換期に来ているんじゃないかって、自分では思っています」
現在66歳の岡田は、今後もしばらくは今治の代表を続けるだろうが、それでも「クラブの顔」としてのメディア露出はめっきり減った。そんな中、33歳の中島がクラブ経営の舵取りを任される比重も増えていくことだろう。今治里山スタジアムばかりが注目される今治だが、次代を担う人材も着実に育っている。
ならば「伊予決戦」のライバルはどうか? 後編では、愛媛FCの最近の興味深い動きにフォーカスする。(文中敬称略)
(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)