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なぜ、水野晃樹はオシムに愛されたのか コーチを咎めた「分からずに叱るな」の言葉にあった答え

お客さん気分で行った初めての日本代表「タカさんが一番衝撃的で」

 とは言え、同年夏のアジアカップのメンバーにも入り、大会を戦っている。

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「自分はチームで一番若かったのもありましたが、まだ気分は“お客さん”でした。俊さん(中村俊輔)、ボンバーさん(中澤佑二)、(川口)能活さん、『テレビで見ていた人と一緒のところにいる!』って舞い上がって。みんな、クオリティが違いました。タカさん(高原直泰)が一番衝撃的で。ゴールハンターというか、得点する能力をすべて持っていました。頭も足も全部、上手くて。すごい点取るなって、ファンのような気持ちで(苦笑)」

 アジアカップは、4位という不完全燃焼な結果に終わった。

 水野は2試合に出場した。代表に選ばれたことで、自然と注目を浴びることになったという。しかし、その立場に甘んじたくはなかった。ジェフでは中心選手になって安泰だったが、「這い上がる人生を戦ってきたからこそ、今があるんじゃないのか」と血が騒いでいた。

 そして2008年1月、水野はジェフを退団。周りの反対を押し切って、大胆にもスコットランドのセルティックへ移籍するのだ。

「無謀」

 そんな声もあった。しかし、サッカーに対して信じて向かっていける「純粋さ」だったとも言える。

「自分は賢いわけではないので、目の前のことを懸命にやってきました。それが俺の力になると信じて。だから、『行き当たりばったり』と言われるかもしれないけど、『やってみないと分からない』という気持ちが強いんです」

 水野の言葉だ。その無垢さこそが、オシムに愛された理由だったのかもしれない。

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(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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水野 晃樹

サッカー元日本代表 
1985年9月6日生まれ。静岡県清水市(現・静岡市)出身。清水商業高(現・清水桜が丘高)を卒業後、2004年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に加入。イビチャ・オシム監督の指導の下、2年目の05年に出場機会を増やすと、U-20日本代表にも選出されオランダでのワールドユース(現・U-20W杯)に出場した。07年にはJ1リーグで29試合9得点の活躍を見せ、日本代表にもデビュー。08年1月、セルティックへ初の海外移籍を果たすが怪我もあり不本意な結果に。10年6月に柏レイソルへ移籍して国内復帰を果たすと、8クラブを渡り歩き、今季からJ3のいわてグルージャ盛岡に所属している。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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