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名門・清水商の練習は「地獄」 高校まで無名の水野晃樹、挫折から這い上がったプロ人生の原点

千載一遇のチャンスを生かし清商のAチームに這い上がる

 水野は音を上げなかった。Dチームから這い上がる千載一遇の機会を窺っていた。一度、Bチームに呼ばれたことがあった。Aチームの選手との1対1で、これ以上ない見せ場だ。

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「たぶん、1回やらせてみよう、くらいだったと思います。(清水商を全国大会出場に牽引した)兄貴の影響で名前は覚えてもらっていたんで。1対1は得意だったから、絶対負けないって。それで3年生をぶち抜いて得点することができました。その後、上でやらせよう、ってことになって。1年の最後の選手権予選ではスタメンでした。努力はしたと思いますけど、タイミング、チャンスに恵まれたとも思います。あそこでダメだったらCやDのまま、最後の大会は応援で太鼓叩いていたかもしれません(笑)」

 高校時代、水野は高校選手権で全国には勝ち進んでいない。プロから誘いは来ず、筑波大学の推薦入試も落ちている。地元の大学でサッカーを続ける選択肢はあったが、プロ入りの道は厳しかった。しかし、清水商の先輩である江尻篤彦氏がジェフ市原のコーチにいたことで、ダメもとでお願いすると、滑り込みでプロ入りすることができた。アマチュアに近い契約で、月給9万円だったが……。

「首を絞められたら、ケツで息をしろ」

 清水商の大滝雅良先生の訓戒を胸に、「這い上がる」プロサッカー選手人生が幕を開けた。

(第2回に続く)

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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水野 晃樹

サッカー元日本代表 
1985年9月6日生まれ。静岡県清水市(現・静岡市)出身。清水商業高(現・清水桜が丘高)を卒業後、2004年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に加入。イビチャ・オシム監督の指導の下、2年目の05年に出場機会を増やすと、U-20日本代表にも選出されオランダでのワールドユース(現・U-20W杯)に出場した。07年にはJ1リーグで29試合9得点の活躍を見せ、日本代表にもデビュー。08年1月、セルティックへ初の海外移籍を果たすが怪我もあり不本意な結果に。10年6月に柏レイソルへ移籍して国内復帰を果たすと、8クラブを渡り歩き、今季からJ3のいわてグルージャ盛岡に所属している。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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