名門・清水商の練習は「地獄」 高校まで無名の水野晃樹、挫折から這い上がったプロ人生の原点
千載一遇のチャンスを生かし清商のAチームに這い上がる
水野は音を上げなかった。Dチームから這い上がる千載一遇の機会を窺っていた。一度、Bチームに呼ばれたことがあった。Aチームの選手との1対1で、これ以上ない見せ場だ。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「たぶん、1回やらせてみよう、くらいだったと思います。(清水商を全国大会出場に牽引した)兄貴の影響で名前は覚えてもらっていたんで。1対1は得意だったから、絶対負けないって。それで3年生をぶち抜いて得点することができました。その後、上でやらせよう、ってことになって。1年の最後の選手権予選ではスタメンでした。努力はしたと思いますけど、タイミング、チャンスに恵まれたとも思います。あそこでダメだったらCやDのまま、最後の大会は応援で太鼓叩いていたかもしれません(笑)」
高校時代、水野は高校選手権で全国には勝ち進んでいない。プロから誘いは来ず、筑波大学の推薦入試も落ちている。地元の大学でサッカーを続ける選択肢はあったが、プロ入りの道は厳しかった。しかし、清水商の先輩である江尻篤彦氏がジェフ市原のコーチにいたことで、ダメもとでお願いすると、滑り込みでプロ入りすることができた。アマチュアに近い契約で、月給9万円だったが……。
「首を絞められたら、ケツで息をしろ」
清水商の大滝雅良先生の訓戒を胸に、「這い上がる」プロサッカー選手人生が幕を開けた。
(第2回に続く)
(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)