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日本は「安全で良い人ばかり」 来日18年の元J助っ人、愛息を千葉の強豪校に入学させた理由

高校年代ではサッカーだけでなく「優れた人間性を養わなければならない」

 1994年米国ワールドカップでブルガリア代表はベスト4に進出したが、得点王になったエースのフリスト・ストイチコフ(元バルセロナ、柏レイソルなど)を筆頭に、ほとんどの選手たちがスポーツ高校出身だったという。

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「親元を離れソフィアへ出てきて『頑張らなければ』と自覚が芽生えました。高校年代は、大人になるための重要な時期です。中学までは親と一緒にトレーニングをするのも良い。でも高校生になったら自立することが大切。だから僕も息子を千葉県の高校へ送りました。この時期には、サッカーだけではなく優れた人間性を養わなければならない。だからブルガリアでは、スポーツ高校で生徒が問題を起こせば、よく校長がクビになるんです」

 物心がついた頃には、すでにサッカーが染みついていた。父はブルガリア2部でプレーした選手で、一緒にボールを蹴っていた小さい頃から「プロになり、ブルガリア代表になる」と心に決めていたそうである。願いは叶い、2004年のEURO(欧州選手権)では2試合でプレーをしている。

「ブルガリア代表は1994年、1998年と2大会連続してワールドカップに出場。当時はストイチコフ、クラシミール・バラコフ(元シュツットガルトなど)、ヨルダン・レチコフ(元ハンブルガーSVなど)など世界的な選手がたくさんいた。また次の世代でも、ディミタール・ベルバトフ(元マンチェスター・ユナイテッドなど)やマルティン・ペトロフ(元アトレティコ・マドリードなど)らが国際的にも有名でしたが、僕がプレーをしたEUROを最後に大きな国際舞台から遠ざかっています。今はヨーロッパ中で知られるような選手はいませんね」

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イリアン・ストヤノフ

元ブルガリア代表DF 
1977年1月20日生まれ。ブルガリア出身。現役時代は高い技術を備えたセンターバックで、母国の名門レフスキ・ソフィアなどで活躍すると、ブルガリア代表として2004年のEUROに出場した。2005年にジェフユナイテッド千葉に加入。イビチャ・オシム監督の下でリベロとして存在感を示すと、同年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)初優勝に貢献した。2007年からはサンフレッチェ広島、2011年からファジアーノ岡山でプレーしスパイクを脱いだ。引退後も日本に留まり、山口県でFCストヤノフサッカーアカデミーを開校。2021年にはカマタマーレ讃岐コーチを務め、今年から相生学院高校サッカー部のコーチに就任した。

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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