「選手が車の中で着替えていた」 衝撃の光景から24年、J2水戸が追求する市民クラブの理想像
コロナ禍の中でのJクラブ社長就任
今季は5月7日のベガルタ仙台戦で、ようやくホーム初勝利を飾るも、2桁順位の苦しい展開が続いている水戸。それでも経営面では、嬉しいニュースがあった。それは2022年度の売上高が、10億2000万円と過去最高を更新。初めて10億円を超えた。
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「僕が社外取締役から常勤の取締役に着任した2019年は、6億3000万円でした。それから7億円台が2年、8億円台が1年、ようやく10億円台になりました」
それまでメディアの仕事をしていた小島が、GMの西村卓朗からの誘いで水戸の社外取締役となったのは2019年。それから1年後の2020年には、12年間にわたりクラブ社長を務めてきた沼田邦郎から経営を引き継ぐことになる。その間、コロナ禍の影響に苦しみながらも、着実に数字を積み上げてきたわけだが、最初から地域に受け入れられたわけではなかった。
「僕は中学も高校も水戸ですけど、大学進学後はずっと東京。いくら実家が鉾田市でも、こっちの人たちからしたら完全に『余所者』なんですよ。それは当時のクラブスタッフも同様で『週1で東京から来る人間に何ができる?』みたいな感じで、僕のことを見ていたと思います」
どうしたら自分を受け入れてくれるのだろうか。同じく余所者の立場から信頼を築き上げてきたGMの西村に相談すると、「経営面で結果を出すのが一番じゃないですか?」と助言してくれた。そこで小島はまず、地元で2代目や3代目の経営者となっている、中学・高校の同級生に片っ端から営業をかけることにした。そこでいくつかのスポンサーを獲得すると、その本気度を認めた沼田をはじめ経営陣は、その年の10月に小島を常勤の取締役に迎えることを決断する。
「そこから社長になるまでにも、実はハードルがあったんです」と小島。社長就任前に開催された株主総会で、株主の間でこんな疑心暗鬼があったという。
「東京から来た人間が社長になったら、クラブを売却するのではないか」──。
おそらくは前年、鹿島アントラーズの株式が、日本製鉄からメルカリに譲渡されたことも影響していたのだろう。こうした疑念に対して、小島はこう訴えた。
「私がクラブ社長でいる間、水戸ホーリーホックは市民クラブであり続けます。もしもそうでない動きがあったなら、株主の皆さんはどうぞ私を解任してください」
その後の小島のアクションは素早かった。まず、それまで2年だった社長の任期を1年に改定。そしてコロナ禍で試合がないなか、パートナー企業への増資を依頼するために頭を下げ続けた。
「メディアの仕事をしていた時は、1ミリも想像していなかった作業の連続でした。それでも、あの時の経験があったからこそ、市民クラブのあるべき姿というものについて、理論武装ができたと思います。幸い、既存の株主さんから増額していただいたり、新規で株主になっていただいたりして、最終的には2億数千万円の増資ができたところで、社長としての覚悟が固まりました」