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フィギュア新星・中井亜美、14歳で3A2本成功の衝撃 原点は5歳で見た浅田真央「絶対やりたい」

新体操を始めた1年後に地元にスケートリンクが完成、フィギュアの世界に足を踏み入れた【写真:積紫乃】
新体操を始めた1年後に地元にスケートリンクが完成、フィギュアの世界に足を踏み入れた【写真:積紫乃】

5歳の時に見た浅田真央に憧れフィギュア挑戦を決意

 この試合の演技直後、こう語っている。

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「練習でもトリプルアクセル-トリプルトウループは自信を持っているので、本番で降りられたのは良かったです。でも2本目(のトリプルアクセル)は練習で全然降りられていなかったので不安もありました」

 そもそも試合で2本挑んだことはそれまでなかった。それでも「ここで2本に挑戦したいという気持ちが強かったです」と挑み、成功してみせたのだ。

 シーズンが終わった今、この1年を振り返るなかで中井もこの大会が強く記憶されていると言う。

「一番印象に残っているのは、全日本選手権でトリプルアクセルを2本決めたことだと思います」

 今や期待を集める若い世代の1人となった中井の、スケーターとしての原点は5歳の時にあった。

「テレビでたまたま浅田真央選手が滑っているのを観ました。観ていて、『絶対にやりたい』と思いました」

 中井が5歳の頃――それは2013-2014シーズンにあたる。当時の浅田はトリプルアクセルはむろんのこと、表現面にも磨きがかかり、まさに成熟した演技を見せるスケーターとして輝きを放っていた。ソチ五輪のフリーの演技も強い印象を残している。中井は、その浅田の姿を通じてフィギュアスケートを知り、その魅力に惹かれた。

「(自分の強みは)高難度のジャンプが跳べることと、『表現力が凄いね』と言われるのでそこじゃないかなと思います」と中井は語るが、トリプルアクセルへのチャレンジも含め、浅田真央という原点があればこそ、そして原点を大切にしてきたからこそ、磨いてきた部分でもある。

「絶対にやりたい」と思った中井だったが、すんなりスケートの世界に足を踏み入れたわけではない。その頃、近隣にスケートリンクがなかったからだ。例えば身近にプールがあって数多くのスイミングクラブがある水泳などと比べれば、スケートを始めるのは容易ではない事情の一端がそこにあり、それはスケート界の課題でもある。

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松原 孝臣

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。

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