「早慶明だけがラグビーじゃない」 名将・春口廣、関東学院大を黄金期に導いた雑草魂と反骨心
関東学院大学を学生最強チームに鍛えた春口廣監督が、今季から女子ラグビーチーム「YOKOHAMA TKM(横浜TKM)」の監督という挑戦をスタートした。前編では73歳名将の新天地での挑戦について紹介したが、後編では関東学院大でどのように選手を育て、チームを常勝軍団へと鍛えていったかを聞く。関東大学ラグビーリーグ戦グループ3部のチームを、ユニークなラグビースタイル、チーム文化を築きながら大学選手権王者へと駆け上がったストーリーの中には、学生スポーツの強化や指導、そして部活運営に関するさまざまなアイデアやヒントを読み取ることができる。(取材・文=吉田 宏)
女子ラグビーYOKOHAMA TKM・春口廣監督インタビュー後編
関東学院大学を学生最強チームに鍛えた春口廣監督が、今季から女子ラグビーチーム「YOKOHAMA TKM(横浜TKM)」の監督という挑戦をスタートした。前編では73歳名将の新天地での挑戦について紹介したが、後編では関東学院大でどのように選手を育て、チームを常勝軍団へと鍛えていったかを聞く。関東大学ラグビーリーグ戦グループ3部のチームを、ユニークなラグビースタイル、チーム文化を築きながら大学選手権王者へと駆け上がったストーリーの中には、学生スポーツの強化や指導、そして部活運営に関するさまざまなアイデアやヒントを読み取ることができる。(取材・文=吉田 宏)
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1997年シーズンの大学選手権初制覇から、春口監督率いる関東学院大は優勝6回、10シーズン連続で大学選手権決勝進出という黄金時代を築いた。毎年のように伝統校・早稲田大学と覇権争いを繰り広げて、大学ラグビー人気をさらに盛り上げた。そんな常勝軍団を育てた指揮官自身は、当時のチーム、選手たちをこう振り返る。
「昔から言ってきたんだよ。選手には失礼かもしれないけれど、雑草だったね」
チームの輝かしい成績からはかけ離れた言葉だったが、関東学院が大学最強チームへと力をつけていく姿を取材してきた側にも頷けるものだった。
春口監督が就任したのは1974年。チームはまだ関東大学リーグ戦グループの3部だった。主な挑戦の場はリーグ戦と、大学選手権に出場できないチームらが出場していた全国大学地区対抗大会。まだ無名のチームだった1980、82年に地区対抗優勝を遂げている。創部当初は遠征費も十分ではなく、今では考えられないが、スタッフや一部の部員の車に分乗して地区対抗などの地方遠征をしていた。
1983年シーズンにリーグ戦1部に昇格して、90年度大会で初優勝を果たしたが、当時でもいわゆる花園常連校から入部する選手は多くなかった。花園優勝経験のある名門高校から初めての選手が入学してくると、受け入れる監督、選手も大騒ぎしていたのを覚えている。メンバーの多くは、春口監督の日本体育大時代の先輩、後輩たちが教員、指導者を務める高校からの入部だった。そんなメンバーで辛うじて戦力を揃えていたが、指揮官はユニークな選手評価、起用で“雑草”たちを磨き込んだ。