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泣いて「強くしてほしい」と頼まれた 父が今も忘れない藤波朱理の目の色が変わった日

片足タックルの才能は自発性によってさらに磨かれた

 中学生になって思うような結果が出なくなったあとのことだ。

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「泣いて、『強くしてほしい』と言ってきました。それに対して、言ったとおりに練習することを約束したのですが、そこから取り組み方が変わりました。特別な練習をしたというわけではなく、姿勢ですね。もう真面目そのもの、手を抜くことがなかったです」

 その積み重ねがあっての、準決勝の逆転劇ではなかったか。

 朱理の武器に「片足タックル」がある。瞬時に入るスピードやタイミングは図抜けている。それはどう培われたのか。俊一は「先天的、才能」だと言う。

「タックルは入るタイミングが大事です。でもこのタイミングというのが難しい。いくら練習しても、入れる、入れないが分かれる。練習するのは前提だし練習で磨いていく部分もあります。ただタイミングだけは教えきれるものではない。もともとの才能、生まれつきのものですね」

 そしてこう続ける。

「天性のものがあって、反復してきちんと練習を怠らずに続けられる。それが成績になっているのだと思います」

 泣いて「強くしてほしい」と父に頼んだのも自らの意思にほかならない。自発性を軸とし、努力を惜しまなかったことが、才能に磨きをかけることができた要因だった。

 そして朱理には、レスリングで伸びることができた要因がさらにあった。

(後編へ続く/文中敬称略)

■藤波 朱理(ふじなみ・あかり)

 2003年11月11日生まれ。三重県出身。父と兄の影響を受けて4歳からレスリングを始める。中学3年生だった18年に世界カデット選手権で優勝。19年に父が監督を務めるいなべ総合学園高に進学すると、全国高校総体(インターハイ)53キロ級で1年生チャンピオンに輝く。20年には全日本選手権に17歳で出場し初優勝、21年も勝ち続け、世界選手権に初出場で優勝した。昨年4月に日本体育大に進学。17年から始まった公式戦の連勝記録を「116」に伸ばしている。兄・勇飛は17年世界選手権フリースタイル74キロ級銅メダリスト。

(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

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松原 孝臣

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。

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