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「才能がない」と悟った北嶋秀朗の決断 超高校級FWに衝撃受けた市立船橋での分岐点

1年生で高校選手権優勝も「このままじゃまずい」

 そして2つ上の先輩には、“超高校級FW”森崎がいた。

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――プロ選手時代も含めて、才能だけで言えば、敵わないと思ったストライカーは?

 その問いに、北嶋は「よしさん(森崎)です」と即答している。プロになって以後、日本代表にも選出され、多くのストライカーを見てきたはずだが、そう断言できる迫力があったという。

「こういう人がプロになるんだろうなって。性格もですが、ザ・ストライカーでした。シュートはえぐい、ヘディングもえぐい、ポストプレーは完璧、それに振り向きざまでドンって音がするような凄いシュートを打てる。正直、自分もたくさん練習しましたけど、振り向きざまに強いシュートなんて打てなかったですもん(笑)」

 北嶋は楽しそうに、こう続ける。

「1年の時は、あれよ、あれよと決勝までたどり着いて、ずっとよしさんについて行った感じで。帝京戦のハットトリックとか、どれも凄かったですよ。自分はよしさんの後ろからこぼれを狙ってとか。俺は1年だったんですけど、“これだと自分はプロでやれんのかな、このままじゃまずいかも”と考えたのを覚えています」

 選手権で脚光を浴びた森崎は高校卒業後、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)に加入した。しかし残した記録は、ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)で1試合わずか4分間の出場のみ。2シーズンで契約満了になった後、下部リーグに新天地を求めたが、ほとんど記録はなく引退している。

 一方、北嶋も柏に入団後の1、2年は苦労していたが、試行錯誤を重ねて、3年目で飛躍を遂げる。J1リーグだけで230試合59得点を記録。柏でのチーム歴代得点数は、工藤壮人に抜かれるまで1位だった。

「自分に才能がないことを、誰よりも理解していました」

 北嶋は言う。

「足は遅いし、ジャンプ力ないし、シュート力ないし、これでどう勝負するのって。1年で選手権を優勝して、名前だけ先行していたので、とにかく工夫し続けよう、変えていこうって思いは強かったです。もし才能があったら、“俺はこんなにできるのに、なんで!?”って、自分のせいにできなかったかもしれません」

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北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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