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4番でエースだった熊代聖人が“主役”を辞めた日 自分を押し殺し、貫いた12年+3年間

プロ入り時には、守れないポジションの方が少なくなっていたと話す熊代氏【写真:球団提供】
プロ入り時には、守れないポジションの方が少なくなっていたと話す熊代氏【写真:球団提供】

転機は社会人時代「小柄だから、プロでは…」

 西武で背番号58をつけた熊代の姿は、まさに縁の下の力持ち。繋ぐ打撃で、1軍での本塁打はゼロ。内外野どこでも守り、スイッチヒッターにも挑戦した。途中出場からチームを支え、円陣で気合を入れるムードメーカーも務めた。

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 中心選手だった高校時代から、なぜ変わったのか? プロ入り前から転機は訪れていた。

 高卒でプロ入りする選択肢もあった中、日産自動車に入社したのは「投手しかやったことがなかったから」。プロ球団からの評価は「野手>投手」。でも、まともに野手のポジションを守った経験は少ない。社会人で勉強しようと考えた。

 強打者だった熊代だが、モデルチェンジを求められた。身長175センチ。「小柄だから、プロではアベレージ、しつこさを求められるよ」。そんな助言からだ。ファウルで粘り、確実性を高めるスタイルになった。

 守備位置は二塁手からスタート。自分のテンポで投げられる投手とは違い、ほぼ全てが受け身の動作。何より、素早く小さく投げることに予想以上に苦しんだ。

 歯を食いしばって上達し、プロを見据えて遊撃、三塁も守った。2年を過ごした日産自動車の休部に伴い、移籍した王子製紙では「内野に外せない選手がいるから、外野に回ってくれないか?」と請われた。「拾っていただいたようなもの。どこでもやらせてもらいます」。プロ入り時には、守れないポジションの方が少なくなっていた。

 西武に入団し、G.G.佐藤、高山久ら長打力ある先輩外野手を見て、社会人で学んできたことの意味を実感した。

「周りは体もデカいし、この中で生き残らないといけないとなった時、自分は守備、足、何とか繋ぐバッター。若い時はホームランを打ちたい気持ちもありましたけれど、それを押し殺してでも、1軍でやれるなら徹底してやろうと」

 持ち前の明るさも、より輝きを増した。「社会人野球の方たちってすっごい明るい。もともと元気を出してやっていた方ではあるけど、殻を破らされた感じかな(笑)」。西武で重宝されたムードメーカーぶりは、ここが原点だった。

「本当は(投手も野手も)両方やりたかったけどね」と笑う。社会人で3年。自分を押し殺し、生き残る道を探った結果、プロ12年間というかけがえのない時間を得られた。

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