[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「俺の結婚の保証人やけえ」「試合の鬼よ」 久保竜彦が語る代表監督・森保一という男

久保は「見た中で、一番かっこええ人よ」と振り返った【写真:荒川祐史】
久保は「見た中で、一番かっこええ人よ」と振り返った【写真:荒川祐史】

「ああいう人になりたかった。見た中で、一番かっこええ人よ」

 今は温厚とか言われとるみたいやけど、表立ってはそうなるんじゃないかね。めんどくさいことに時間とられるよりはいいから。それは装ってるだけ。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 本当は激しいし、勝つためにはなんでも犠牲にする人。それは監督になっても変わっとらんと思う。采配のことは俺もチームに入っとるわけじゃないし、なかにしかわからんことがあるから何も言えん。テレビで試合を観とっても、選手の時から顔が変わってないから。何ひとつ、変わってない。

 ああ、闘うんだなと。もともと、無名のところから這い上がってこられた人。自分も無名だったから、本当に凄いと思う。

 今は連絡を取ることはないけど、ばったり会うことはある。千葉のJFAの施設に行ったら「森保さん、いますか?」って挨拶する。電話はせんね。電話しても話すことないから。W杯も頑張ってほしい。良い顔が見たい。強い相手だし、その顔が最高の形で見られたらうれしいね。

 それで、きっと自分も元気になる。自分もやらないかんと。本当に尊敬しとったから、結婚の保証人もお願いした。ああいう人になりたかった。

 見た中で、一番かっこええ人よ。

(インタビューは前後編 後編は「W杯落選の哀情『酒に溺れた夜とかあちゃんの涙』 当事者・久保竜彦が明かす16年前の記憶」を掲載)

【後編】W杯落選の哀情「酒に溺れた夜とかあちゃんの涙」 当事者・久保竜彦が明かす16年前の記憶

■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、カフェ運営や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

1 2
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集