「僕らには責務がある」― 日本サッカーの礎築いた故・岡野俊一郎氏の言葉
「サッカーにコートはありません。僕らには、用語を正しく伝えていく責務がある」―岡野俊一郎
故・岡野俊一郎氏が伝えてきたこと
「サッカーにコートはありません。僕らには、用語を正しく伝えていく責務がある」―岡野俊一郎
1960年、日本サッカー協会は、ドイツからデットマール・クラマー氏を特別コーチとして招聘した。東京五輪を4年後に控えていたので、ちょうどタイミングのイメージは「現在」と重なる。
岡野さんは協会に「クラマーの全てを吸収しろ」と命じられ、それからは「弟のように」行動を共にした。当時クラマーは、ドイツ語しか話さなかった。僕は岡野さんに尋ねた。
「いつドイツ語を覚えたのですか」
岡野さんは、涼しい顔で返えた。
「大学の第二外国語がドイツ語だったので」
因みに僕も第二外国語はドイツ語を専攻したが、大学を卒業後は跡形もない。クラマー氏は述懐していた。
「岡野のお父さんは、お菓子を作る会社(岡埜栄泉)を経営していたので、彼には十分に勉強する時間があったんだろうね。ドイツ語、英語が堪能で、心理学、生理学、哲学の知識も備え、私の母とはドイツ文学を語り合っていた。スキーや水泳も抜群に上手かった」
今後東京大学出身で日の丸をつける選手が出て来るとも思えないが、こうして日本サッカーの過渡期(黎明期)に頭脳明晰で多才な偉人を得られたことは、歴史的にも大きな幸運だった。