古豪・浦和市立で全国制覇 35年指導の高校サッカー名将が選手に伝えた勝利への執念
元浦和レッズの堀之内聖氏が見た「誰よりも悔しがった」監督の姿
それから古豪にとってはまた、臥薪嘗胆の時が流れる。武南がさらに強くなり、埼玉の公立校で初めて体育科を設置した大宮東との2強時代を形成。それでも磯貝監督は厳しい指導で個を磨き、組織力を強化した。
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そうして96年度の第75回高校選手権の埼玉予選で大宮東を下し、あの惨敗から13年ぶりに出場権を獲得。才能豊かな人材が多かったことに加え、前年は8月の埼玉大会1次予選で敗れ、早期に新チームを結成し長時間鍛錬できたことも大きかった。
このチームの主将だった大野恭平さんは、19年4月に母校の監督に就任。「リスクを負わない戦い方をベースにしたので、サイドバックの私が攻め上がると怒られました。ただ本質的には選手の自主性を尊重してくれる先生でした」と振り返る。
高校選手権では近大付(大阪)、水戸商(茨城)、西目(秋田)を破ってベスト8進出。しかし準々決勝では、元日本代表の中村俊輔がいた桐光学園(神奈川)に0-1で屈し、磯貝監督の6度目にして最後の選手権が終わった。
2年生ながら攻守の大黒柱、後にJリーグ浦和レッズで活躍した堀之内聖さんは、「僕らは準々決勝まで来たという(満足した)思いがあったかもしれませんが、あの時、誰よりも悔しがっていたのが先生でした。負けず嫌いで、選手以上にピッチで戦っていた」と回想し、敬慕した。
磯貝監督の選手権での最後の敗戦の弁。
「1対1で全然できなかった。あれだけ1対1で負けていたら駄目だよね。スコアは0-1だけど、選手は技術的な差を相当感じていると思う。全体的に(ラインを)引いてしまった。ここまできて舞い上がってしまったんだと思う。(敗因は)そういう気持ちの表れ、初めから気持ちで負けていたんだよ」
勝負への飽くなき執着心を求めた思いが、言外に込められている。
(河野 正 / Tadashi Kawano)