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日韓W杯が大分に与えた影響 西川周作ら日本代表を輩出、育成環境を変えた無形の財産

日韓W杯の会場で、大分トリニータの本拠地として使われる昭和電工ドーム大分【写真:宇都宮徹壱】
日韓W杯の会場で、大分トリニータの本拠地として使われる昭和電工ドーム大分【写真:宇都宮徹壱】

西川や清武が「大分県を国体に導いてくれた」

 2002年のW杯が大分で開催された時、西川周作は高校1年、清武弘嗣は中学1年、松原健は小学4年、岩田智輝は未就学児であった。世代間で多少の濃淡はあれども、地元でW杯が開催されたことが、彼らのその後のキャリアに少なからぬ影響を与えたことは想像に難くない。ただし今回は、あえて彼らに話は聞かなかった。

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 20年前のW杯の記憶をたどる旅。最終回となる今回は、大分の地で育成に携わってきた、2人の人物に登場していただく。1人は西川や清武らが学んだ大分東明高校の教育者、もう1人はトリニータのアカデミーを作り上げた韓国人指導者である。

「西川や清武は確かに教え子です。けれどもサッカーの指導で関わったのは、国体とか県の選抜チームでした。私自身、それほど誇れるキャリアではなかったですし」

 そう語るのは、大分東明高校で社会科を教えながらサッカー部を指導する西村誠、59歳である。同校は伝統的に、大分トリニータU-18の選手たちを生徒として受け入れてきた。いわゆる強豪校ではないものの、Jリーガーや日本代表となった卒業生を何人も輩出している。案内された部屋には、若き日の西川と梅崎司の2ショット写真、そして東慶悟が着ていたユニフォームなどが展示されていた。

「ワールドカップ以前の大分は、国体に出るのがやっとという実力。福岡と長崎と熊本と鹿児島が6枠のうちの4枠を独占して、残り2枠を宮崎や佐賀や沖縄と争うという構図だったんです。そんななか、我々を国体に導く活躍を見せてくれたのが、西川や清武でした。もっとも西川は、埼玉国体の直前にシャムスカ監督にトップチームに引き上げられて、そのままプロデビューしたんですよ。こっちは頭を抱えましたが、仕方ないですよね」

 当時はまだ、日本代表の大半が高体連出身という時代。大分の指導現場でも、高校サッカーとクラブユースが逆転するのは、まだまだ先の話と思われていた。そんななか、発足したばかりの大分トリニータU-18で2000年から指導していたのが、元韓国代表の皇甫官(ファンボ・カン)。「育成のトリニータ」の礎を築いた人物だ。

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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