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「裸の会合」でトルシエ戦術を改良 宮本恒靖が証言、日韓W杯“初勝利”を導いた決断

試合後に握りしめた血の付いたタオル「勝つために必死だった」

 日韓W杯2戦目のロシア戦は、グループリーグ突破のためには絶対に勝たなければいけない試合だった。そのために、フラットスリーにメスを入れたが、試合では特に不安を感じなかったという。

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「ラインの上下のズレとかは問題なく、危ないということもなかった。そこのミスを突かれる怖さよりも相手のスルーパスやマイナスのクロスを入れられるほうが嫌だった。ロシアがもっと日本を分析して、やり方を考えてくるチームなら、また違う展開になったのかもしれないけど、幸い正攻法で来てくれたので、自分たちが有利に戦えました」

 7メートルほどラインを下げて宮本たちは対応したが、トルシエは低いラインが我慢ならず、ベンチから何度も「上げろ」と声を荒げていた。

「ベンチでもハーフタイムにもラインを上げろって言われたけど、勝つためには怒鳴られてもいい。自分たちが思うようにやろうと決めていました」

 ロシアの攻撃を封じ込めてきた日本に、「サッカーの神様」は微笑んだ。後半6分、稲本が2試合連続ゴールを決め、先制したのだ。

 その後はロシアの猛攻を浴び、体を張った守備の時間が長く続いた。日本は1-0で勝ち、W杯史上初勝利を挙げた。試合後、宮本は血の付いたタオルを握りしめてミックスゾーンに現れた。

「ロシアの攻撃で何回もバーンと当たられたけど、そんなの気にせずやっていました。プレーしている時は痛いとか、あまり感じなかったし、とにかく勝つために必死だった。終わってタオルで顔拭いたら血が出ていたことに気付いたという感じだったけど、本当に勝てて良かった」

 続くチュニジア戦にも日本は勝利し、グループリーグを2勝1分の首位で突破した。

 最終ラインを統率し、ロシア戦で失点ゼロに抑えて勝利に導いた「バットマン」は、歴史的な白星とともに世界に配信され、国内メディアは連日、その姿を報道した。

 宮本は一躍、「時の人」になった。

【第1回】「バットマン」宮本恒靖の真実 「ボールが一瞬消える」違和感と空前の“ツネさま”人気

■宮本恒靖 / Tsuneyasu Miyamoto

 1977年2月7日生まれ、大阪府出身。95年にガンバ大阪ユースからトップ昇格を果たし、1年目から出場機会を獲得。97年にはU-20日本代表主将としてワールドユースに出場する。シドニー五輪代表でもDF陣の中核を担うと、2000年にA代表デビュー。02年日韓W杯前は控えの立場だったが、ベルギー戦で森岡隆三が負傷したため緊急出場。鼻骨骨折した顔面を保護するフェイスガード姿が話題となり、「バットマン」と呼ばれて人気を博した。日韓W杯後に就任したジーコ監督からも信頼され、06年ドイツW杯にも出場。11年に現役引退後は、日本人の元プロサッカー選手で初めてFIFAマスターを取得した。古巣G大阪のトップチーム監督などを経て、現在は日本サッカー協会理事を務める。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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