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“サッカー王国”清水とロシア代表 日韓W杯で滞在、関係者が忘れない日本に敗戦後の姿

「サッカー王国」として知られる清水の街の風景【写真:宇都宮徹壱】
「サッカー王国」として知られる清水の街の風景【写真:宇都宮徹壱】

日本に敗れた夜、ロマンツェフ監督が語ったこと

 ロシア代表がJ-STEPに到着したのは5月25日。グループステージ敗退となったため、6月16日に帰国の途についた。この間、最も印象に残ったことを綾部に尋ねると、間髪入れずに「日本戦が終わった6月9日です」との答えが返ってきた。

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 長年にわたり清水で子供たちを指導し、JFA特任理事でもあった綾部。それでも日本とロシアの対戦は「できればドローで」と密かに願っていたという。結果は稲本潤一の決勝点で、日本が1-0の勝利。日本中がW杯初勝利に沸騰するなか、J-STEPでロシア代表の帰還を待つ彼女の気持ちは複雑だった。

「チームバスが戻ってきたのは深夜でした。出迎えた私を見つけて、ロマンツェフさんが『勝利おめでとう』と握手してくれたんですよ。あまりの感動に、思わず身震いしてしまいましたね。そのあとロマンツェフさんが、私に聞くんです。『教えてほしい。なぜ日本はこれほど強くなったのか? 我々の知っている日本とは違っていた』って」

 綾部はこう答えたという。まずJリーグができたこと。次にW杯に出場したいという明確な目標があったこと。そして今大会では国民的な後押しもあったこと──。するとロマンツェフは「なるほど。我々は、あまりにも日本のことを知らなすぎた」とだけ答えて、選手やスタッフとともに宿舎に帰っていった。

 あれから20年。悲惨な戦争のニュースが連日届くなか、それでも綾部はスポーツマンシップに溢れた2002年のロシア代表の姿が忘れられないという。ロシアのサッカー関係者との交流は今も続いているが、コロナ禍に続いて戦争まで始まってしまい、再会の日はすっかり遠のいてしまった。大会後に編纂された、ロシア代表キャンプの冊子のページをめくりながら、彼女は最後にこう語った。

「静岡で毎年行われているSBSカップ国際ユースサッカーには、ロシアのU-18代表も参加していたんですよ。でも今は、国そのものが国際大会から締め出されていますから、国内でしか活動できないですよね。今のウクライナやロシアの状況を思うと、本当に切ない気持ちになります。ワールドカップというのは、武器を持たない平和的な戦いです。1日でも早く、武器をサッカーボールに変えてほしい。心から、そう願っています」(文中敬称略)

(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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