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「ベッカム様」フィーバーから20年 ソフトモヒカン大流行、日韓W杯で社会現象の背景

目の前のベッカムから放たれた、真のスーパースターのオーラ

 ただし、やはりこの時の復帰は相当な無理を重ねたもので、翌シーズンのプレーに影響した。ファーガソン監督はイングランド代表の主将となってからは、「代表を優先してクラブを疎かにするようになった」とベッカムを公然と批判するようになった。

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 1998年に国民的憎悪を集めたベッカムの盾となり、マンチェスターに帰る場所を作った恩師としては当然の怒りだったと思う。そしてこの頃から、99年3月に長男ブルックリンを出産して、その4か月後にベッカム夫人となっていたヴィクトリアとの結婚生活を、英国メディアがまさに狂ったように追いかけ始めて、サッカー以外の雑音を撒き散らすベッカムとファーガソン監督の関係は悪化の一途を辿った。

 メディアの注目は日本からも集中した。2002年夏の筆者の携帯には、どこから番号を尋ねたのか分からないが、日本の様々なメディアから仕事の依頼が続々と舞い込んだ。「どうしてだろう?」と思ったが、ベッカム通信なるものを連載し始めたことをすぐに思い出した。

 それはサッカー以外のメディアも多数含まれていた。中でも有名女性週刊誌の依頼が、馬鹿げているほど報酬が良くて強く印象に残っている。それはヴィクトリアがブルックリンを出産した病院を取材してほしいというものだった。部屋の中を写したら、それだけで15万円と言われた。

 病院に問い合わせると、実際にヴィクトリアが滞在した部屋は空いていないが、全く同じタイプの部屋なら写真を撮って構わないと言う。早速筆者のデジカメで写真を撮って、わずか10分ほどの仕事で15万円を射止めた。

 8月の、日付まではちょっと思い出せないが、開幕直前にオールド・トラッフォードで行われたマンチェスター・Uのファン感謝イベントを取材したいという雑誌のコーディネートもした。

 通訳とガイドを兼ねたような仕事だったが、これもまた2時間余りの業務でかなりのギャラだったと思う。イベントではカメラマンと、ピッチ脇で公開練習に励むベッカムの姿を追っていた。

 すると、ピッチから蹴り出されたボールを追って、なんとベッカム本人が我々の前で仁王立ちして、「ボールを取ってくれないか?」と話しかけてきたではないか。

 筆者とカメラマンがしゃがんでいたこともあり、思わず見上げる形になったが、我々の前に立ったベッカムには背後から太陽が差し込み、その陽の光が貴公子の金髪とシンクロしてキラキラと輝き、まるで後光が差しているかのように見えた。

 あの時、これこそ真のスーパースターのオーラだと感服したのをよく覚えている。本当にしびれるような感覚だった。実際、生身の人間と接して、これほどの輝きを感じたことはなかったし、これ以降もない。まあ背後から太陽が差し込んでいて、文字通り光り輝いていたこともあったのだろうが……。

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森 昌利

1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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