十日町とクロアチア、日韓W杯から20年続く友情 選手も感動した市民数千人の見送り

「世界で最も面倒なチーム」を迎え入れて得られたもの
実は十日町を離れる日、若山はクロアチア協会事務局長のゾリスラヴ・スレブリッチから、「世界で最も面倒なチームを迎えてくれた、あなた方の対応は完璧だった」という労いの言葉を受けていた。もちろん嬉しかった。けれども、それ以上に押し寄せてきたのが喪失感。せっかく皆で感動したのに、いずれ風化して忘れ去られるのは、あまりにもったいない話ではないか──。
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幸い、キャンプ誘致のために整備したトレーニング施設「クロアチアピッチ」は残った。天然芝が2面、そして2000人収容のスタンドとクラブハウス。これらを活用するべく、U-16の大会「十日町カップ」が開催されるようになる。これが契機となり、今ではJクラブもクロアチアピッチを合宿に利用するようになった。
一方で、スポーツを通じたクロアチアとの交流も続いた。昨年の東京五輪では、柔道と空手とテコンドーの代表選手たちが十日町で合宿しており、その様子はクロアチア国内でも連日報じられた。アテンドしたスヴェンによれば、クロアチア国内での十日町(現地の発音は「トカマチ」)の知名度は、東京と大阪に次いで高いそうだ。
生まれも育ちも十日町の若山もまた、大会後はすっかりクロアチアびいきになった。かの国には3回訪れ、携帯電話の着信メロディもクロアチア国歌。そんな彼に、2002年のレガシーとはなんだったのか、最後に語ってもらおう。
「確かに、素晴らしい施設は残りました。でもそれ以上に、細々ながら長く続いたクロアチアの人たちとの交流こそが、十日町にとってのレガシーですよ。しかも行政に頼りきりになるのでなく、市民が中心となっての国際交流が、こんなに小さな町でもできたんです。スヴェンが来てくれたことも含めて、結局は人と人との関係なんですよね」(文中敬称略)
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(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)
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