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十日町とクロアチア、日韓W杯から20年続く友情 選手も感動した市民数千人の見送り

クロアチアピッチに立つ石碑。2002年に訪れた選手やスタッフの名前が刻まれている【写真:宇都宮徹壱】
クロアチアピッチに立つ石碑。2002年に訪れた選手やスタッフの名前が刻まれている【写真:宇都宮徹壱】

「世界で最も面倒なチーム」を迎え入れて得られたもの

 実は十日町を離れる日、若山はクロアチア協会事務局長のゾリスラヴ・スレブリッチから、「世界で最も面倒なチームを迎えてくれた、あなた方の対応は完璧だった」という労いの言葉を受けていた。もちろん嬉しかった。けれども、それ以上に押し寄せてきたのが喪失感。せっかく皆で感動したのに、いずれ風化して忘れ去られるのは、あまりにもったいない話ではないか──。

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 幸い、キャンプ誘致のために整備したトレーニング施設「クロアチアピッチ」は残った。天然芝が2面、そして2000人収容のスタンドとクラブハウス。これらを活用するべく、U-16の大会「十日町カップ」が開催されるようになる。これが契機となり、今ではJクラブもクロアチアピッチを合宿に利用するようになった。

 一方で、スポーツを通じたクロアチアとの交流も続いた。昨年の東京五輪では、柔道と空手とテコンドーの代表選手たちが十日町で合宿しており、その様子はクロアチア国内でも連日報じられた。アテンドしたスヴェンによれば、クロアチア国内での十日町(現地の発音は「トカマチ」)の知名度は、東京と大阪に次いで高いそうだ。

 生まれも育ちも十日町の若山もまた、大会後はすっかりクロアチアびいきになった。かの国には3回訪れ、携帯電話の着信メロディもクロアチア国歌。そんな彼に、2002年のレガシーとはなんだったのか、最後に語ってもらおう。

「確かに、素晴らしい施設は残りました。でもそれ以上に、細々ながら長く続いたクロアチアの人たちとの交流こそが、十日町にとってのレガシーですよ。しかも行政に頼りきりになるのでなく、市民が中心となっての国際交流が、こんなに小さな町でもできたんです。スヴェンが来てくれたことも含めて、結局は人と人との関係なんですよね」(文中敬称略)

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(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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