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鈴木隆行、W杯ベルギー戦秘話 “つま先弾”導くブラジルでの涙と「眠れなかった」前夜

懸命に伸ばした右足のつま先で決めたゴール、鈴木隆行のサッカー人生が凝縮された一撃だった【写真:高橋学】
懸命に伸ばした右足のつま先で決めたゴール、鈴木隆行のサッカー人生が凝縮された一撃だった【写真:高橋学】

スタンドの日の丸を見て緊張から覚悟に変わった

 時計の針を20年前に戻してもらうと、彼は衝撃的な言葉を口にする。

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「試合前日の夜、全然眠れなかったんですよ。熟睡なんて一切できていない。朝の時点で“もう終わった”って思いましたから」

 夢にまで見たW杯の舞台。心に余裕はなかった。楽しもうとする気持ちなど皆無に近かった。ビビッていたわけではない。「己の責任を果たしたい」という気持ちだけが膨らんで、押しつぶされそうになってそのまま朝を迎えていた。ただ、眠くはなかった。

 ホテルの沿道にはおびただしいほどの人だかりができていた。バスで会場に向かう際、耳をつんざくほどの歓声が届いた。多くの人が日本代表に手を振ってくれていた。試合が近づくにつれて、責任感がより増していく感もあった。

「俺、試合始まるまでずっと緊張していたんですよ。でもピッチに入場して君が代が流れてスタンドがバーッと日の丸を掲げて、あれを見て覚悟が生まれたんです。試合が始まったら、緊張なんて微塵もなくなりました」

 鈴木隆行という人は、真逆になる2つの感情を備えている。

 重圧に押し潰されそうな自分と、そしてもう一つ。

「2000年に鹿島で出始めた頃から大事なところでゴールを決めていたので、自分の人生の流れからすると、ここまで積み上げてきたものが自分にあるなら、このワールドカップでも絶対に決められるとも思っていました。プロになって上手くいかないことなんて何度もあったけど、挫けずにやってきた。こんなヤツ、ほかにいないはずだ、と。この時のためだと思っていたから、確信に近いものが自分の中にあったんです」

 フットボール人生の流れ。

 茨城・日立工を卒業後、1995年にJリーグの鹿島アントラーズに入団するものの、出場機会に恵まれずにレンタル移籍を繰り返すことになる。ジーコが出資したブラジル・リオデジャネイロのCFZに渡った際には、これまで以上に自分を追い込む鈴木がいた。

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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