韓国4強に「不満募らせた」 トルシエと日韓W杯の悔恨、トルコ戦が“奇妙”だった理由
日韓W杯16強で「欧州クラブの目を開けさせた」
20年が経った今も悔しさを露わにしたトルシエ氏だが、自身が監督として育てたチームが日韓大会で手にした功績も強調する。
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「目を閉じて我々がやったことから隠れたくはない。我々はよくやったのだから。ワールドカップでは良いプレーをした。史上初の勝利とこの結果(ベスト16)は、当時の世界に対し、日本には良い選手がいるということを伝える強いメッセージとなった。それからというもの、多くの日本人が欧州でプレーしている。
多くの日本人選手にとって、道が開けた初めての瞬間だった。すべての日本人選手へ『君はできるんだ』と伝える、とても良いメッセージになった。コンプレックスは持たなくていい。臆することなく、日本のユニフォームを着る責任は重大だと伝える時だった。これこそ、我々のパフォーマンスの真の結果だったと思う。真の勝利は欧州のクラブの目を開けさせ、日本に良い選手がいると知らしめたことだった」
2002年大会に限って言えば、アジア史上最高のベスト4進出に沸く韓国の隣で、日本は最終的に悔しい想いを味わった。だがホスト国として戦い、ベスト16に進出した歴史的なW杯によって、日本サッカーの価値が世界的に高まったことは間違いなく、20年が経った今、それは7大会連続の本大会出場、そして日本代表メンバーの大半が欧州クラブ所属選手という形で成果として表れている。その成長度は、“永遠のライバル”韓国を上回っていると言っても過言ではないだろう。
【第1回】日韓W杯16強は「最高の偉業」 トルシエが誇る日本での4年、成功を確信した試合とは
【第3回】日本代表の「選手層は厚くない」 トルシエがW杯メンバー選考に持論「弱点になる」
■フィリップ・トルシエ / Philippe Troussier
1955年3月21日生まれ、フランス・パリ出身。現役時代はDFとしてプレーし、28歳で指導者の道へ。34歳でアフリカに渡り、5か国のクラブや代表チームを指揮し「白い呪術師」の異名を取った。南アフリカ代表を率いた1998年フランスW杯後に日本代表監督に就任。A代表と五輪代表を兼任すると、99年ワールドユース準優勝の“黄金世代”をはじめとした若手の才能を伸ばし、徐々に世代交代を果たした。2000年シドニー五輪はベスト8に終わるも、直後にA代表で臨んだアジアカップで優勝。02年日韓W杯では日本サッカー史上初のベスト16進出を果たした。その後はカタール代表やマルセイユの監督などを経て、近年は中国やベトナムで若手育成のプロジェクトを担った。
(マイケル・チャーチ / Michael Church)