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衝撃の監督更迭からジョホールバルの歓喜へ 川口能活に刻まれたW杯アジア予選の記憶

今年11月に迫るサッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会出場権を懸けた日本代表の戦いが24日、ついに最終局面を迎える。日本代表が所属するグループBは勝ち点19でサウジアラビアが首位に立ち、1差で追う形で日本が2位、4差でオーストラリアが3位につける三つ巴に。自動的にW杯出場権を獲得する上位2か国に入るべく、日本代表は24日にオーストラリアとアウェイでの直接対決を迎える。勝てばW杯出場が決まるが、アジアの戦いはそう簡単ではない。かつて激戦を戦ってきた元日本代表GK川口能活氏が当時を振り返る。(取材・文=藤井 雅彦)

「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた1997年W杯アジア第3代表決定戦の日本代表、川口能活は後列右から2人目【写真:Getty Images】
「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた1997年W杯アジア第3代表決定戦の日本代表、川口能活は後列右から2人目【写真:Getty Images】

W杯カタール大会アジア最終予選・豪州戦目前インタビュー

 今年11月に迫るサッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会出場権を懸けた日本代表の戦いが24日、ついに最終局面を迎える。日本代表が所属するグループBは勝ち点19でサウジアラビアが首位に立ち、1差で追う形で日本が2位、4差でオーストラリアが3位につける三つ巴に。自動的にW杯出場権を獲得する上位2か国に入るべく、日本代表は24日にオーストラリアとアウェイでの直接対決を迎える。勝てばW杯出場が決まるが、アジアの戦いはそう簡単ではない。かつて激戦を戦ってきた元日本代表GK川口能活氏が当時を振り返る。(取材・文=藤井 雅彦)

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 当時、22歳だった川口能活が初めて経験するW杯アジア予選は、とにかく過酷な戦いとして脳内にインプットされている。

「僕にとってW杯予選で真っ先に思い浮かぶのは1998年フランス大会のアジア最終予選です。この予選から方式が変更され、ホーム&アウェイ方式が採用されました。現在はFIFAが定める国際Aマッチデーに実施されていますが、当時は9月から11月までの約3か月に全日程を消化するというハードスケジュールでした」

 結果として日本は9月に3試合、10月にも3試合、そして11月にアジア地区プレーオフ(第3代表決定戦)のイラン戦を含めた3試合を戦った。勝利の余韻に浸る暇もなければ、敗北に肩を落としている場合でもない。迫り来る試合を戦うことに精いっぱいで、肉体と精神の両方に大きな負担が掛かった。

 今もなお、語り継がれているエピソードが数多くある戦いの中でも、監督交代は最もショッキングな出来事だろう。

 第3戦の韓国戦(ホーム)で逆転負けを喫した。第4戦のカザフスタン戦(アウェイ)も勝ち切れずに引き分けで終わると、日本サッカー協会は加茂周監督の更迭を発表した。

 川口にとっては自身をA代表デビューさせてくれた恩師だ。大きなショックを受けた苦い記憶をこう明かす。

「自分を代表デビューさせてくれて、その後も積極的に起用してくれた加茂さんが更迭されてしまって不甲斐なかったですし、責任を感じました。でも落ち込んでいる時間はない。日本が勝利するためのプレーと結果を求めなければいけない状況でした。当時の自分は年齢的に若いグループのひとりでしたが、チームはW杯出場という目標を見失っていませんでした」

 コーチを務めていた岡田武史が監督に昇格してからも平坦な道のりではなかったが、第7戦ではアウェイの韓国戦で大きな勝利を手にする。第8戦のカズフスタン戦(ホーム)も途中招集された中山雅史のゴールなどで5-1と大勝し、イランとのアジア地区プレーオフへ。

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