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市長へのメール1通で変わった障害者の環境 東京パラリンピックが繋ぐべきレガシーとは

スポーツや体験を通して変化しつつある子どもたちの障害に対する意識

 ロンドンパラリンピックを翌年に控えた2011年、三阪さんは社会人とアスリートという2つのキャリアを両立させるためにバークレイズ証券にアスリート雇用で入社。拠点を大阪から埼玉・戸田市に移したが、ここで1つ壁にぶつかった。

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「戸田市スポーツセンターを一般の方と同じように使いたいと言ったら、危ないのでダメだと門前払いされたんです。戸田公園駅に『戸田市生涯スポーツ都市宣言』と掲出されているのをいつも見ていたので、『これはどういうことだ!』と若さも手伝って、すぐに戸田市公式サイトから市長に抗議のメールを出しました(笑)。『生涯スポーツ都市宣言をしているのに障害者にスポーツをする権利が与えられていない』って。

 そうしたら秘書課から『市役所へお越し下さい』と返信があり、怒られるかと思ったら『我々もちゃんと目を向けなければいけない。いい機会になりました』と謝られました。そこから市と一緒に障害者に対する理解を深めるイベントや取り組みを始め、6年後にようやく一般の方と同じようにスポーツセンターを利用できるようになりました。こういう戦いをしたパラアスリートはたくさんいたと思います」

 2013年には東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定。翌年にはパラスポーツの管轄が厚生労働省から文部科学省に移り、五輪競技と同様に強化することになった。味の素ナショナルトレーニングセンターを利用しやすくなったり、2018年にはパラスポーツ専用体育館の日本財団パラアリーナがオープンしたり、パラスポーツ界のトップアスリートを巡る環境は加速度的に整備されていったが、恩恵に与れるのが一部に限られる歯がゆさもある。

 同時に東京パラリンピック開催決定から本番までの8年間、日本各地の自治体や教育現場でも障害やパラスポーツに対する理解を深める取り組みが行われた。三阪さんも自身の経験を伝えるため「共生社会の実現」をテーマに、全国の小中高校や特別支援学校を訪れて体験授業や講演を実施。「回を重ねるに連れて、車いすラグビーを知っていたり、ルールを説明できたりする子どもが増え、中には体験したことがある子もいました」と話す。

「半ば強制的ではあっても、学校がきっかけになることは大事だと思います。僕が子どもの時にも学校で人権講演がありましたが、正直どなたが講演したのか覚えていなくて(苦笑)。でも、スポーツという観点や体験を通して、子どもたちの障害に対する意識は変化が起きていると思います。パラスポーツが特別なものではなく社会にある選択肢の1つとして認識した子どもたちが成長した時、パラスポーツで活躍することにも価値を見出せる社会であるといい。

 その基礎作りとして子どもたちに向けた発信をしてきましたが、障害を持つ当事者と当事者団体だけでは少数派なので、多数派にとっても当たり前の課題に変えていく作業が必要でした。そういう意味でも、東京パラ開催決定から8年間で日本の障害者福祉やバリアフリーの問題も浮き彫りになる側面があったのは、単に障害を持つ人が参加するスポーツ大会の最高峰が自国で開催されたということだけではなく、東京パラが開催された価値の1つだったと思います」

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