大迫傑、現役復帰に込めた想い 伝えたい挑戦し続ける意義「どんどん失敗してもいい」
第一中継車から見た鎧坂の走りが「刺激になった」
大迫の熱量はすでに飽和状態。シカゴの翌日か翌々日には、現役復帰への思いを、指導を受けていたピート・ジュリアン氏に伝えた。
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「早く誰かに言いたかった。自分の中に留めておくと、その熱量ってどんどん下がっていっちゃうんで。自分でも“やったほうがいい”と思ったので、すぐにピートには話しました」
いつぐらいから本格的に練習を再開したかは「内緒」と言うが、“鉄は熱いうちに打て”とばかりに、大迫は行動に移した。
ラップの他にもう1人、大迫に大きな刺激を与えた先輩ランナーがいた。2学年上の鎧坂哲哉(旭化成)だ。
この秋冬、大迫はマラソンや駅伝の中継でゲスト解説を務めることが多かったが、今年2月6日の別府大分毎日マラソンでは、初めて第一中継車に乗って解説をした(これまではスタジオでモニターを見ながらの解説だった)。そのレースで最後まで優勝争いを演じ、2位に入ったのが、2017年から練習を一緒にしていた鎧坂だった。
「1号車に乗っていたので臨場感がありましたし、そこで、自分の身近な選手が良い走りをしたのは嬉しかったですし、刺激になりました」
奇しくも、このレースの翌日に大迫は復帰を表明した。
トラック種目で実績を積み重ねてきた大迫が、マラソンに取り組み出したのは2017年。この5年間は、シューズ等のギアの進化もあり、エリウド・キプチョゲ(ケニア)らによって、世界のレベルが一気に引き上げられた。
日本のマラソン界も同様だ。日本歴代上位の記録が、がらりと入れ替わった。その牽引役となったのは大迫で間違いない。現日本記録こそ鈴木健吾に塗り替えられたが、大迫は2度日本記録を更新。そして、第1章のラストランとなった東京五輪では6位入賞を果たしている。世界との差が開いていくばかりと思われていたが、大迫は日本人でも世界と戦える可能性を示したのだ。
「2位集団は“あと一歩だな”というところにあった。後輩たちが必ずやってくれると思う」
走り終えた後、こんな言葉を大迫は残している。一度は後進に託した思い。それを自ら実現させるつもりだ。