フィギュアのリンク完成に「徹夜で7日間」 ミリ単位で選手を支える製氷員の職人芸
早い時には早朝6時から作業…氷は種目によって硬さも違う
加藤商会は1998年の長野五輪をはじめ、アイスホッケーやスピードスケートの全国レベルの大会でも運営に携わってきた。大会にもよるが、製氷作業員は前日の公式練習から多忙な日々を過ごす。
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長い時は早朝6時から、夜10時頃まで会場にいることも。簡単な刃の跡だけであれば製氷車で均すことができるが、ジャンプによって大きな穴が空いた場合などはそうはいかない。細かい氷を詰め、平らになるよう手作業が必要になる。まさに職人芸。怠れば選手の怪我にもつながってしまう部分であるため、細心の注意を払っている。
58歳の加藤さんは長野・野沢北高の3年時に、スピードスケートの男子500メートル、1500メートルの2種目で国体優勝した実力者でもある。「若干スピードスケートの方がフィギュアより硬め」と話すように、氷は種目によって硬さが微妙に変えられている。
「滑る氷、滑らない氷の違いでまともに脚にきてしまう時もある。硬すぎると滑れないし、着氷の時に膝や足首に負担がかかりやすい。でも、あまり柔らかいとジャンプしづらいかもしれない。繊細に考えないといけないので難しいです」
加藤さんは明大卒業後に米国留学を経て、父で現会長の邦人氏が経営していた加藤商会に入社。長野五輪では製氷員として、スピードスケート・清水宏保の金メダル獲得を現地で見届けた。
「感動しましたね。自分もスピードスケートをやっていたし、しかもうちの会社で作った氷で優勝ですから」。作り上げた氷の上で躍動する日本人選手が、自分の仕事に誇りを持たせてくれた。
代表に就任したのは2007年。ちょうどアイスリンク仙台の直営を始めた時だった。
04年、当時は他社が運営していたアイスリンク仙台は、経営難で一度閉鎖。宮城出身の荒川静香が06年トリノ五輪で金メダルを獲得し、地元のリンク事情について言及したことで潮目が変わった。宮城県などから依頼を受け、加藤商会がリンクの経営受託することとなった。
約2年間使われていなかった施設は、配管システムや冷凍庫も古く、フェンスも錆びだらけ。全面リニューアルし、人材も集めてようやく採算ベースに乗り始めた頃、11年の東日本大震災が起きた。