誰よりも好かれたランナー福士加代子 現役最後に知った感覚「私からありがとう、と」
「あんな感じになっちゃって」と振り返る衝撃のマラソンデビューは4度転倒
08年大阪国際で初マラソン。当時は2位以下を大きく引き離したが、30キロを過ぎて大失速した。朦朧として転倒。「やめさせてー!」。沿道から悲痛な叫び声が飛んだ。計4度も地面に這いつくばるフラフラの放心状態。2時間40分54秒の19位だったが、ファンの脳裏に深く刻まれた衝撃のデビューだった。
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16年大会は中盤から独走し、強さを見せつけて優勝。「やっと勝った~!」。笑いながら泣いた。東京五輪を目指していた19年は集団で転倒し、両膝から流血した。20年も25キロ過ぎで2大会連続の途中棄権。沿道のファンに「ごめ~ん!」と叫び、深々と頭を下げた。
五輪は04年アテネから16年リオまで4大会連続出場。世界選手権は03年パリから5度出場し、13年モスクワはマラソンで銅メダルを獲得した。この日の引退会見では「あまり言いたくないけど」と淀みながら、「マラソンをやってよかったなって思います」と素直になった。
「マラソンのおかげで走る時間が長くなった。道具は靴しかないので自分と会話するしかない。『どうやったらもっと走れるだろう?』と毎日会話したんですよ。それで自分の嫌いなところも含めて全部好きになった。自分と向き合えたのはマラソンのおかげ。散々走りたくないとか思っていたけど、マラソンをやっていてよかった。マラソンは嫌なことだらけなので、言いたくはないですけどね(笑)」
走るのが楽しい。だから続けたい。できることなら、ずっと勝負の世界で闘っていたい。でも、体が痛い、動かない。「なんかね、走りがへたくそになったの。わかります? 前の自分はよかったのにっていう葛藤があって」。ここ数年は思い通りにいくことの方が珍しかった。
自分との会話を繰り返して迎えたこの日の引退セレモニー。「もしかしたら走れなくなるのではという不安もあった。ちっこい胸ですけど、痛んでました」と愛嬌たっぷりに笑いを誘った。その直後、突如声の音量を上げた。吐き出した想いは、マイク越しに場内に響き渡った。
「その中でやめたくなかったかなー! 走るの、楽しかったもん!! でも、今日は走れなくなったので終わりにします!」