「病院に行く手前で救える」 RISEでも活躍の“闘うドクター”が産業医を選んだ理由
目指したい「頑張っている人が報われる社会」
――具体的にはどんなサポートをされていますか。
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「弊社で仕事をしてもらうケースももちろんあります。トレーナーとして、弊社で見ている企業に指導に行ってもらったり、パーソナルトレーナーとしてお客さんを見てもらったり。直接的ではないけれど、僕らの影響で自分でも起業して、事業をうまくしている後輩もいます。
元々、個人としては頑張っている人が報われる社会を作りたいという思いがありました。医療の側面から頑張りすぎて倒れちゃうような人を救うこともできるし、アスリートを横で見ていて『この頑張りが報われるようになればいいのにな』と感じていたので、セカンドキャリアをサポートしたいという思いはもともとありました。それら全てを兼ねるのであればどういうやり方が良いかなと考えたところ、トレーニング事業に行きつきました」
――池井さんが今後目指したい目標、ビジョンを教えてください。
「高齢化社会、コロナという事情もあり、健康であるということに価値がある時代が来ると思っています。例えば同じ65歳の人を雇用する場合、健康が証明されている人と、健康診断でボロボロの人であれば、絶対前者の方を雇いたいと思いますし、そういう社会なら健康であろうとしてくれる人も増えると思う。その時に私たちが個人や企業にとって健康管理を提供できるようでありたいと思っています。
個人としては、あまり目標などはなく、今の生き方を続けていければと思っています。その先にやることは変わるかもしれないけれど、やりたいこととやるべきことだけをやるというのがモットーで、自分の基準にある」
――現役引退はまだ。今後、試合で池井さんの姿を見られることを期待しています。
「オファーいただくケースも未だにあるんですが、ずっとそう言いながら出られていない(笑)。そろそろもう一度出たいなと思っています」
■池井佑丞(いけい・ゆうすけ)
1980年12月31日生まれ、宮崎県出身。家業が病院ということもあり医師に憧れを抱くも、鹿児島・志學館高卒業時には偏差値が40しかなかった。1年間の浪人の末に杏林大医学部に進学。2年時に格闘技に出会い、06年プロデビュー。07年の「R.I.S.E.」 DEAD OR ALIVE TOURNAMENTで準優勝。同年の医師国家試験に合格したこともあり“闘うドクター”として注目された。戦績は12戦7勝(5KO)5敗。選手でありながらも内科医として勤めていたが、15年から産業医に。現在は日立グループ企業の統括産業医を務めながら、起業した株式会社リバランス代表として様々なサービスを提供。トレーナー、セカンドキャリアサポートなど事業を手広く手掛けている。
(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)