異色の“闘うドクター”と呼ばれた男の今 格闘家&医師の二足の草鞋を実現できた理由
2つの道を進むことで「苦労したというより助けられた」
――いきなり日本2位の選手に勝ったのは凄い。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「種目は総合格闘技。競技を始めて2年くらいで勝ったおかげで注目してもらえました。そのあと初めて出たキックボクシングの大会で日本一になり、その次の日からプロ選手となりました」
――医師を目指しながらも、在学中の2006年に「R.I.S.E.」でプロデビュー。当時はどんな生活を送っていたのですか。
「どのジムもそうですが、プロは基本的に昼間に練習しています。僕の場合は学校があるので夜にジムに通うのですが、周りには一般会員さんしかいなかった。プロは全然いなかったので、試行錯誤して練習していました」
――最後に試合に出場したのは2012年ですが、実はまだ引退していない。
「仕事が落ち着いたら出たいですね。自分のチームを持っていたり、普段からチャンピオンの子たちとスパーリングしたりしているので、コンディションさえ作ることができれば昔以上に強いのではないかなと思っています」
――現在は所属ジムのクロスポイント吉祥寺で日菜太選手の、ジムの外ではKrushライト級王者になった瓦田脩二選手のトレーナーをしつつ、一緒に練習もこなされています。
「夕方まで産業医として勤務して、その足でジムに行って、チャンピオンとスパーリングして帰ります。チャンピオンは強くてスパーリング相手がなかなかいないので、よく駆り出されています。今でも強いと思いますよ(笑)」
――医師と格闘家、2つのことを同時にやるのは難しくなかったのでしょうか。
「よく聞かれるのですが、個人的にはこの2つがなければ上手くいかなかったと思っています。プライベートが充実しているから仕事も頑張れるし、逆もそう。満足と納得があり、苦労したというより助けられました。
僕の中ではダブルワークとか、仕事とプライベートとか、2人分の人生というのがテーマですし、これを持つことでバランスが取れたり、シナジーが生まれたりするのがパターンとして成り立っているので、試合に出なくなってもプライベートの部分、医師以外の部分を大事にしています。結果、起業やトレーナーをやることにも繋がっているので、僕自身にとって大切だったかなと思います」