なぜ五輪にボランティアと聖火が必要なのか 野口みずきがギリシャで触れた不可欠要素
野口みずきは何を想い、聖火を繋いだのか「選手たちが思いきり輝けるように」
聖火リレーでは、いろいろな熱い想いを持ったランナーがいました。この祭典が始まる合図のように行われるものですが、それだけじゃない。一般の方にもリレーに対する想いがあり、まさに困難から立ち上がって参加していた。アスリートに頑張ってほしいという想いと、ランナー一人ひとりのいろんな想いが一つの灯火となって集まっている。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
開会式の時は、聖火のテレビ番組に出演させていただきました。ランナーの中には病気中に妊娠されて、命の危険がある中でも子供を産みたいという母親もいた。出産された後もしっかりと走られている方。1964年東京五輪でも走った沖縄の方もいました。当時の沖縄は米国の統治下。日本国旗を簡単に掲げられなかったけど、聖火のときだけは許された。子供たちなど、目の前は国旗を掲げる多くの人で埋め尽くされたそうです。
私も昨年3月にアテネで聖火リレーに参加しました。ギリシャ人の方から聖火を受け取り、日本人1番手の第2走者。アテネを訪れたのは五輪以来16年ぶりです。夕方スタートでゴール手前になると真っ暗。目の前の道が街頭で照らされて光の道のように見えたんです。聖火リレーの灯火が明るく、目の前を照らす希望の光になっていた。このままオリンピック、パラリンピックが終わった後も前向きな気持ちが続いていけばいいなって感じました。
コロナが広がり始めた時期だったので、終息と五輪が無事に開催されることを想って走りました。選手たちが最高のパフォーマンスを発揮して、思いきり輝けるように。
当日の朝は古戦場の「マラトンの丘」に行き、「選手たちを見守ってください」とお祈りしてきたんです。アテネ五輪のレース後はバタバタして行けなかった。兵士たちにも「戻ってきました」という想い。だから、16年のときを超えて「ありがとう」を伝えることができました。
それぞれの想いがリレーになって繋がっていく。でも、私の何走か後にギリシャ国内で中止になってしまった。帰国する時にトランジットの空港で見た新聞に載っていました。中止の一報を受けたランナーが遺跡の前で頭を抱えた写真。私も少しショックでしたね。何とも言えない気持ち。ギリシャの人々にとってオリンピック、聖火リレーは特別な想いがあるんです。
でも、よくぞその火だけは消えず、想いが繋がって都庁に入り、最終ポイントまでたどり着いて開会式に花を添えてくれた。厳しい状況の中、人の想いが届いてなんとか開催されているんだと改めて感じました。聖火リレーに参加された人の熱い想いがある。走っている人はみんな笑顔だった。この笑顔が続けばいいのになって感じます。
五輪の主役は選手ですが、みんなで作り上げているからこそ特別な雰囲気が出るのかもしれません。選手だけじゃない。それを見て感じる人、聖火リレーに携わる人、ボランティア、大会関係者。本当に大きなイベントです。今大会は開催までにいろんなことがあったので、世界中の人にとって最高の祭典なんだなと感じました。
五輪は残り少ないですが、パラリンピックもあります。世の中の人々には、選手が競技をしてるときはいろんなことを忘れてほしい。この日のために全てを注ぎ込んできた選手たちの本当に純粋な姿、競技を楽しんで応援してほしいと思います。
■野口みずき/THE ANSWERスペシャリスト
1978年7月3日生まれ、三重・伊勢市出身。中学から陸上を始め、三重・宇治山田商高卒業後にワコールに入社。2年目の98年10月から無所属になるも、99年2月以降はグローバリー、シスメックスに在籍。2001年世界選手権で1万メートル13位。初マラソンとなった02年名古屋国際女子マラソンで優勝。03年世界選手権で銀メダル、04年アテネ五輪で金メダルを獲得。05年ベルリンマラソンでは、2時間19分12秒の日本記録で優勝。08年北京五輪は直前に左太ももを痛めて出場辞退。16年4月に現役引退を表明し、同7月に一般男性との結婚を発表。19年1月から岩谷産業陸上競技部アドバイザーを務める。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)