被写体・松田直樹の魔力 カメラマンが忘れられない背番号31「彼だけ諦めてなかった」
忘れられない3つの試合、背番号31のGKユニホームを着用した日
撮影した中で、忘れられない試合が3つあります。
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1つ目は1995年の開幕戦、アウェーの鹿島アントラーズ戦。高卒1年目でいきなりスタメンに抜擢され、右サイドバックで出場。2-3とリードされながら彼も得点に絡み、最後は延長Vゴールで逆転勝ちした試合です。
厳しい気候で雨が降り、気温は6度。当時はまだフィルムでオートフォーカスもない時代ですが、フィルムを交換する手がかじかんで動かないくらい。そんな中で劇的な勝ち方をして、18歳の彼が活躍したことが印象的でした。
当時は新旧のマリノスの過渡期。ホルヘ・ソラリ監督の初戦で直樹君は新しいマリノスの象徴でした。先輩・後輩の上下関係は絶対という時代でしたが、彼だけは「ピッチに入れば関係ねえよ!」というスタイルでした。
2つ目は2007年のナビスコカップ準決勝第2戦、川崎フロンターレ戦。2-3の後半35分にGK榎本哲也選手が退場になり、交代枠を使い切っていたため、直樹君がベンチに入っていた飯倉大樹選手の背番号31のGK用ユニホームを着てGKを務めた試合です。
榎本選手が退場になった瞬間、「俺がやる、任せろ」という感じ。榎本選手がうなだれている中、グローブをはめてバンバンと手を叩き、やる気満々。隣にいたカメラマンですら「ああ、終わったな」という空気なのに、です。
ピッチの中で、彼一人だけだったかもしれない。GKを欠いてボロボロの状況でも、諦めないぞという気持ちで動いている。だから、写真を見ても全く諦めた顔をしていない。今回、十数年ぶりに写真を見返しても感じるものがありますね。
3つ目は2008年のJ1第33節の東京ヴェルディ戦です。後半13分に中盤から持ち上がり、自分で凄いミドルシュートで先制ゴールを決めた。その後、MF田中隼磨選手に乗りかかられ、ガッツポーズをしていました。
その時撮った写真が、彼にしてはですが、嬉しさの中に憂いがあったんです。彼の写真は闘争心や悲しみ、それだけが100%出てくる写真が多いのですが、ガッツポーズをする中に何かがあった。
当時の心情は分かりませんが、カメラマンとして直感的に感じるものがあり、だからこそよく覚えています。
ちなみに、彼はよく髪形を変えていましたね。いろんなヘアスタイルがありましたが、僕は2002年の日韓W杯と坊主が好きでした。私服はお洒落なんですが、「気合いだ」みたいな感じで坊主にしてしまう。その感情をすぐに行動に移す。
今はお洒落な美容院に行って、綺麗に整えている選手も多いですが、カッコいいとかそんなことじゃなく、気合いを入れるために坊主にしている。「闘将」という言葉が一番彼に似合うし、彼が醸し出すオーラを含め、最もふさわしかったと思います。