[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

被写体・松田直樹の魔力 カメラマンが忘れられない背番号31「彼だけ諦めてなかった」

1995年開幕戦に高卒でスタメン出場した松田さん(後列左から4人目)【写真:(C)Y.F.M】
1995年開幕戦に高卒でスタメン出場した松田さん(後列左から4人目)【写真:(C)Y.F.M】

忘れられない3つの試合、背番号31のGKユニホームを着用した日

 撮影した中で、忘れられない試合が3つあります。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 1つ目は1995年の開幕戦、アウェーの鹿島アントラーズ戦。高卒1年目でいきなりスタメンに抜擢され、右サイドバックで出場。2-3とリードされながら彼も得点に絡み、最後は延長Vゴールで逆転勝ちした試合です。

 厳しい気候で雨が降り、気温は6度。当時はまだフィルムでオートフォーカスもない時代ですが、フィルムを交換する手がかじかんで動かないくらい。そんな中で劇的な勝ち方をして、18歳の彼が活躍したことが印象的でした。

 当時は新旧のマリノスの過渡期。ホルヘ・ソラリ監督の初戦で直樹君は新しいマリノスの象徴でした。先輩・後輩の上下関係は絶対という時代でしたが、彼だけは「ピッチに入れば関係ねえよ!」というスタイルでした。

2007年ナビスコ杯準決勝でGKとして出場「彼一人だけ諦めてなかった」【写真:草野裕司】
2007年ナビスコ杯準決勝でGKとして出場「彼一人だけ諦めてなかった」【写真:草野裕司】

 2つ目は2007年のナビスコカップ準決勝第2戦、川崎フロンターレ戦。2-3の後半35分にGK榎本哲也選手が退場になり、交代枠を使い切っていたため、直樹君がベンチに入っていた飯倉大樹選手の背番号31のGK用ユニホームを着てGKを務めた試合です。

 榎本選手が退場になった瞬間、「俺がやる、任せろ」という感じ。榎本選手がうなだれている中、グローブをはめてバンバンと手を叩き、やる気満々。隣にいたカメラマンですら「ああ、終わったな」という空気なのに、です。

 ピッチの中で、彼一人だけだったかもしれない。GKを欠いてボロボロの状況でも、諦めないぞという気持ちで動いている。だから、写真を見ても全く諦めた顔をしていない。今回、十数年ぶりに写真を見返しても感じるものがありますね。

2008年東京V戦で決めたゴール「嬉しさの中に憂いがあった」【写真:草野裕司】
2008年東京V戦で決めたゴール「嬉しさの中に憂いがあった」【写真:草野裕司】

 3つ目は2008年のJ1第33節の東京ヴェルディ戦です。後半13分に中盤から持ち上がり、自分で凄いミドルシュートで先制ゴールを決めた。その後、MF田中隼磨選手に乗りかかられ、ガッツポーズをしていました。

 その時撮った写真が、彼にしてはですが、嬉しさの中に憂いがあったんです。彼の写真は闘争心や悲しみ、それだけが100%出てくる写真が多いのですが、ガッツポーズをする中に何かがあった。

 当時の心情は分かりませんが、カメラマンとして直感的に感じるものがあり、だからこそよく覚えています。

 ちなみに、彼はよく髪形を変えていましたね。いろんなヘアスタイルがありましたが、僕は2002年の日韓W杯と坊主が好きでした。私服はお洒落なんですが、「気合いだ」みたいな感じで坊主にしてしまう。その感情をすぐに行動に移す。

 今はお洒落な美容院に行って、綺麗に整えている選手も多いですが、カッコいいとかそんなことじゃなく、気合いを入れるために坊主にしている。「闘将」という言葉が一番彼に似合うし、彼が醸し出すオーラを含め、最もふさわしかったと思います。

1 2 3 4
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集