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0秒03に泣いた最後の五輪挑戦 競泳・井本直歩子、それでも言える「幸せな競技人生」

最後は0.03秒差で逃した五輪、それでも井本さんは「幸せな競技人生」と語る【写真:松橋晶子】
最後は0.03秒差で逃した五輪、それでも井本さんは「幸せな競技人生」と語る【写真:松橋晶子】

泣いてばかりだった水泳生活、それでも言える「幸せな競技人生」と

 帰国後、自らアスリート奨学金をもらえるアメリカの大学を探し、テキサス州サザンメソジスト大に留学。在学中は一定レベルの学業の成績を残さないと試合に出られなかったため、「当初は英語での授業、学業と水泳との両立に苦労した」が、卒業後は練習量をしっかり積めた。技術・筋力の向上、メンタル面も充実し、23歳を過ぎても、記録を伸ばし続けた。

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 そして迎えた、シドニー五輪に向けたラストシーズン。井本さんは自分の弱点を受け入れることで、気持ちを切り替えた。

「中学時代から、練習では『もっといける』という手応えはあるのに、試合ではいつも力を発揮できなかった。実力以上の目標を掲げては本番で届かず、ずっと泣いてきました。だけど最後の1年は気持ちを切り替え、もう高い目標を掲げるのをやめたんです。とにかく全力を出し切ろう。やるだけやって、それで終わりにしよう、と」

 24歳の井本さんは代表選考会の日本選手権で出場全種目、自己ベストを更新するも、派遣標準タイムには0.03秒及ばず。2度目の五輪出場は叶わなかった。「すべて出しきったし、後悔はない」。3度目の五輪挑戦を終え、約20年の競技生活に終止符を打つ。

「水泳を続けていた間は泣いてばかりで、個人種目で会心のレースはほとんどありません。それでも、水泳を通じてたくさんのことを得られたので、幸せな競技人生でした。一番は素晴らしい仲間たちとの出会い。仲間の元はずっと日本に居なくても、20年以上会っていなくても、いつでも帰ってこられる自分の居場所。大切な宝物です」

(後編『選手村で感じた「世界の不平等」 日本人五輪スイマーが引退後にユニセフで働く理由』に続く)

■井本直歩子 / Naoko Imoto

 3歳から水泳を始め、小学6年時に50m自由形で日本学童新記録を樹立。中学から大阪イトマンに所属。近大附中2年時、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50m自由形で銅メダルを獲得。1994年広島アジア大会では同種目で優勝する。1996年、アトランタ五輪に出場。千葉すず、山野井絵理、三宅愛子と組んだ4×200mリレーで4位入賞。2000年シドニー五輪代表選考会で落選し、現役引退。スポーツライター、橋本聖子参議院議員の秘書を務めた後、国際協力機構を経て、2007年から国連児童基金職員となる。2021年1月、ユニセフを休職して帰国。3月、東京2020組織委員会ジェンダー平等推進チームアドバイザーに就任。6月、社団法人「SDGs in Sports」を立ち上げ、アスリートやスポーツ関係者の勉強会を実施している。

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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