「人生、置きにいかない」 松田直樹、没後の「今もライバル」佐藤由紀彦が愛した生き様
2人で言い合った言葉「人生、置きにいかない」「人生、リスクをかける」
ピッチ内の性格はファン・サポーターの皆さんも見た通り。ピッチ外の思い出はありすぎるけれど、洋服の展示会に一緒に行った時の話。
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直樹は洋服好きでアパレル関係の仲間が多い。一度、彼に言われた海外ブランドの展示会に付いて行った。それが凄く高いブランドだったが、何十万円という買い物をしたのが自分で、直樹はほとんど買ってない。後で妻に金額を伝えたら、めちゃくちゃ怒られたのに(笑)
「これ、凄く似合ってるよ」「この出会いはもうないよ」みたいに勧めてくる。デザイナーと組んでいたのかと思うくらい。そんなずる賢さがあって、強化部長や代理人、営業あたりの才能もあったはず。そのくらい口説き方が上手くて、でも許せてしまう人柄だった。
今、「松田直樹メモリアル Next Generation」という財団をF・マリノスでチームメイトメートだった河合竜二、天野貴史と立ち上げている。
これまでに出生地の群馬でゆかりのあった選手をゲストに呼び、サッカー教室を開いて、合わせてAEDの講習会も一緒にやったり、F・マリノスが開催しているイベントに協力させてもらったり。みんなで慎むというより、亡くなっても松田直樹の魂は存在していると発信してきた。
直樹の存在や名前を残したかった。今、YouTubeくらいでしかその勇姿を見られない子供たちに、これだけ偉大な選手がいたんだって伝えたかった。
子供たちには、自分が発信したことに責任を持ち、行動を起こせる人間になってもらいたい。発信すること、行動することを恐れずに勇気を持つ。サッカーに対しても夢に対してもそう。言ったからには貫き通す。そういう人間が、直樹の姿を通して育ってくれたらうれしい。
直樹とは共通ワードみたいなものが2つあった。
「人生、置きにいかない」「人生、リスクをかける」
いろいろなシーンで、そのワードが出ていた。常にそれをピッチ内外で言い合って、サッカーに関しても怪我や病気で何かを回避しようとしていると「ああ、逃げちゃうんだ」って。そういう刺激的な言葉をかけて鼓舞し合っていたから、ずっと切磋琢磨しながらやってこられた。
そういう意味で印象的だったのは2010年のF・マリノスから松本山雅への移籍。
当時、相談を受けたけど、選択肢の中でJFLという一番厳しい場所を選んだことも、まさにリスクを恐れず、置きにいかない選択だと感じた。実際、F・マリノスの環境から比べると、当時の松本山雅は厳しいものがあったけれど、言い訳は一切なし。とにかく突き進んでいた。直樹らしかった。
でも、亡くなってしまったのは、それからたった半年あまり後のこと。