金メダルを川に投げ捨てた伝説の世界王者も 聖火リレー最終点火者の歴史【後編】
東京オリンピックは23日に開会式を迎える。大きな見どころの1つは聖火リレーの最終走者。過去の大会ではどんな背景を持つ人物が務めたのか。聖火リレーの歴史を2回に渡って振り返る。今回は後編。(文・江頭満正)
政治的な思惑にも左右される聖火リレーの最終点火者
東京オリンピックは23日に開会式を迎える。大きな見どころの1つは聖火リレーの最終走者。過去の大会ではどんな背景を持つ人物が務めたのか。聖火リレーの歴史を2回に渡って振り返る。今回は後編。(文・江頭満正)
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●1992年バルセロナオリンピック
冷戦終結後初の夏季オリンピックとなり、「平和の祭典」としての姿にやっとオリンピックが戻った。ただ、1991年のソビエト連邦の崩壊直後の事であり、各国の国内オリンピック委員会が、IOCから承認されていなかった。そのため旧ソ連統一チーム(EUN)の入場ではチーム名の“Equipe Unifiee”,“Unified Team”が記載されたプレートと五輪旗のみならず構成国の国名プレートと国旗も先導し、国家政治による影響でアスリートが犠牲になることを、極力回避して行われた。
開会式では坂本龍一が地中海の神話をモチーフにしたマスゲームの音楽「El Mar Mediterrani」を作曲、指揮し、オリンピック体育館を磯崎新が設計するなど、日本人の参加も多い大会だった。
聖火台への聖火の点火には弓矢が用いられた。担当したのはパラリンピックのアーチェリー選手のアントニオ・レボージョであった。オリンピックは健常者だけのものでいはない。障がい者にも同様の機会が与えられていることが、聖火の最終ランナーに込められたメッセージだった。
●1996年アトランタオリンピック
近代オリンピック開催100周年記念大会。197の国と地域から約1万人が参加し、26競技271種目が行われ、過去最大の規模となった。
開催地のアトランタはアメリカの中でも、人種差別が長期化した地域だった。1960年アメリカ憲法では全人種に選挙への投票件が保証されていたが、アトランタでは黒人が役所に有権者登録申請をしても認められることは無かった。つまり黒人がアトランタで投票することは出来なかった。白人専用のレストラン、ホテル、電車なども当たり前に存在していた。こういった人種差別への抗議運動を主導した「キング牧師」は、アトランタ生まれであり、公民権運動発祥の地とされている。
アトランタオリンピックの聖火の点火者は、モハメド・アリだった。マルコム・Xらと人種差別反対運動に参加し、ベトナム戦争が本格化する中で「黒人ばかりがベトナムに送られて戦死している」と訴え、徴兵を拒否。ライセンスをはく奪、チャンピオンの座から“追放”された。さらに「禁錮5年、罰金1万ドル」の有罪判決をアメリカ政府からうけた。
アトランタという場所で、アリが、ボクシングが原因で患ったパーキンソン病の、震える手で聖火を点灯した。それはアメリカがかつて行っていた人種差別を悔い改め、世界に向けて「人種差別は過去のものである」ことを宣言した瞬間だった。
アリは、1960年ローマオリンピック、ボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得。米国に帰国後「白人専用」と書かれたレストランに入ろうとして拒否された。『金メダルはレストランで食事をする価値すらないものだ』と考えて、メダルを川に投げ捨てたとされている。そのアリのメダル、バスケットボールの試合前セレモニーの時間に、アリにサラマンチ会長から、金メダルの再授与式が行われた。
アリと共に人種差別反対運動に参加していた、マルコム・Xとキング牧師は共に暗殺されている。