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松田直樹十周忌 「明日、みんな金髪で集合な」で人生初めて髪を染めた中村俊輔の追憶

2003年の松田さん、降格危機を味わった2001年以降もたびたび金髪でプレーした【写真:Getty Images】
2003年の松田さん、降格危機を味わった2001年以降もたびたび金髪でプレーした【写真:Getty Images】

「明日、みんな金髪で集合な」の言葉で人生初めて茶髪にした日

 中村がプロ5年目の2001年、横浜F・マリノスは降格の危機に瀕した。

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 日産自動車サッカーの系譜を受け継ぎ、名誉あるJリーグ開幕戦をヴェルディ川崎と戦った。歴史と伝統を兼ね備えた名門クラブをセカンドディビジョンに落とすわけにはいかない。

 立ち上がったのは松田だった。

「ある日、マツさんが突然『明日、みんな金髪で集合な』と言い出して(笑)。苦しい状況から抜け出すために一体感を強調したかったのでしょう。でも僕は人生で一度も髪の毛を染めたことがなくて、それでもどうにか頑張って茶色にして翌日グラウンドに行きました。そうしたらオムさん(小村徳男)やアキさん(遠藤彰弘)は本当に金髪になっていたけど、(上野)良治さんは黒のまま。自分は茶色だし、結果的に一体感どころか余計バラバラになった(笑)。でもマツさんがそういった行動を起こしてくれなかったら降格していたかもしれません」

 中村は同じ2001年に松田からもらった言葉があるという。

 すでに日本代表でも存在感を示し始めていたが、このシーズンはチームの勝利になかなか貢献できていないもどかしさがあった。

 叱咤されることを覚悟したが、飛んできたのは思いがけない言葉だった。

「自分自身、少し傲慢なプレーをしていたという自覚があって、ちょうどそのタイミングで城さんとマツさんに呼ばれたんです。怒られるかなと思って緊張していたら、『お前がチームの中心だから。ボールを集めるから好きにやっていいぞ』って。自分を信頼してくれていることが分かって、すごくうれしかった」

 松田はいつも歯に衣着せぬ物言いで自身の思いをぶつけてくる男だった。どちらかといえば寡黙な姿勢でサッカーに打ち込む中村にとって、その姿はまさしく頼れる兄貴分。

「マツさんのように『オレたちは弱いんだから弱いなりのサッカーをするぞ!』と堂々と言える選手はなかなかいない。弱腰のプレーをするのではなく、自分たちができることを100%やるという意味でした。そうやって言葉を選ばずストレートに伝えられるところも尊敬しています」

 いつも面と向かって直接伝えてくるタイプの松田が、あえて中村には直接話さなかった出来事がある。

 忘れもしない、2002年の日韓W杯メンバー発表直後の出来事だ。

「マツさんが選出会見で、同じマリノスから候補に入っていたけど最終メンバーに選ばれなかった選手の名前を一人ずつ挙げてくれました。しかも少し怒っているというか、納得いかないといった口調で。自分ひとりだけが入っていることを申し訳なさそうにしていて、悲しくて辛そうな様子だった。演じている部分があったのかもしれないけれど、選ばれなかった選手の気持ちを汲んでくれたことに感謝です。直接の会話はなかったけど、あの会見の様子だけで救われました」

 2002年夏にイタリアのレッジーナへ海外挑戦した中村。その後、スコットランドのセルティックとスペインのエスパニョールでキャリアを重ね、2010年に横浜F・マリノスに復帰することを決意した。

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