早大アメフト部QBが異例のプロ野球挑戦 2つの「甲子園」に出場した元134km右腕の覚醒
多様性が叫ばれる時代。スポーツ界も例外ではない。この春、個性的なキャリアを経て、プロ野球を目指し始めた若者が「都の西北」にいる。早大を卒業した22歳・吉村優は4年間、アメフト部に在籍。大学日本一を決める「甲子園ボウル」に出場したクォーターバック(QB)は投手としてNPBのドラフトに挑戦する。「僕は本気でプロ野球選手を目指しています」と意気込む異色の右腕の経歴に迫った。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
早実野球部エース―早大アメフト部QB―早大大学院、22歳・吉村優の異端のキャリアに迫る
多様性が叫ばれる時代。スポーツ界も例外ではない。この春、個性的なキャリアを経て、プロ野球を目指し始めた若者が「都の西北」にいる。早大を卒業した22歳・吉村優は4年間、アメフト部に在籍。大学日本一を決める「甲子園ボウル」に出場したクォーターバック(QB)は投手としてNPBのドラフトに挑戦する。「僕は本気でプロ野球選手を目指しています」と意気込む異色の右腕の経歴に迫った。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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「来年のドラフト会議でNPBの選手になることが目標です。破天荒に思われるかもしれませんが、僕は本気でプロ野球選手を目指しています」。決意に満ちた口調で語る吉村優。彼は、昨季まで強豪・早大アメフト部でQBとして活躍した22歳である。
野球とアメフト。意外な組み合わせに思えるが、両競技の母国である米国では親和性が高い。
ワールドシリーズとスーパーボウルに出場したディオン・サンダースのように2つの競技で活躍した選手が複数いる。2019年にはカイラー・マレーが史上初めてMLBとNFLのドラフト1巡目指名を受け、NFLに進んだことも話題を呼んだ。
転じて、日本においては中村渉(元日本ハム)が大学で野球部を退部後、アメフト部に在籍し、クラブチームを経てドラフト指名された例はあるが、大学4年間をアメフト部で完走した選手がプロ野球選手に……となると、まさに異例だろう。
そんな前例なき挑戦を、なぜ志したのか。「パイオニア」という言葉をモットーにする吉村のキャリアをひも解くと、ジュニアスポーツのキャリア形成においても参考になるストーリーが見えてきた。
初めて握ったボールは白球だった。小2だった2006年、斎藤佑樹(現日本ハム)擁する早実高の甲子園優勝に感動。「自分も早実で甲子園優勝したい」と小4から野球を始め、小5の終わりから1年間の受験勉強で難関私立・早実中に合格した。
憧れの「WASEDA」のユニホームに袖を通し、進学した早実高では初めてベンチ入りしたのは2年夏のこと。ここで人生のターニングポイントとなる経験をする。怪物1年生・清宮幸太郎(現日本ハム)を擁した強力打線を武器に、甲子園で4強に進出したのだ。
背番号16の控え投手だった吉村に登板機会は回ってこず、「悔しさと嬉しさは半々」というが、あの夏の記憶は今も鮮明に残っている。
3年生になり、最後の夏に斎藤もつけた背番号1をもらった。最速134キロ、制球力を売りに1年生・野村大樹(現ソフトバンク)も加わった名門を牽引したが、西東京大会準々決勝で敗れ、高校生活を終えた。ただ、涙は出なかった。
「自分はゴールを高校野球にしていたので」。だから、同級生が早大で野球継続を決める中、エースだけは違った。
「早実に入ったのは高校野球を早実でやりたかったから。燃え尽きていたので、このまま惰性で4年間を使ったらもったいないし、周りと同じように大学野球に進んでも本気になれないんじゃないかと、薄々感じていました」
これまでの歩みを振り返り、自然と別の道を考えた。
「日本一にこだわって野球をやってきたけど、なれなかった。同じように日本一を目指せるけど、なれていないところに興味が沸いて、調べたらアメフト部がそうでした。新しい何かに挑戦することが自分に必要だと思って」
日本一という目標は変えず、見つけた情熱の矛先。白球を楕円球に持ち替えた。