25歳商社マンの夢はプロクリケット選手 佐野市から目指す“年俸30億円の世界”とは
佐野市に移住した理由「クリケットに人生を捧げよう」
日本の大学生では群を抜く実力を持っていた和田に、興味を持った坂西会長は「クリケットを応援するからうちで働いてくれないか」と提案してきたという。こんなに嬉しい言葉はなかった。「チャンスが来た。ここしかない」。卒業を間近に控えた2月のことだったが、和田は入社を決断した。
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2018年4月からベビーカーやベビーソファ「バンボ」を扱う同社の営業職として働きながら、クリケットでは大阪のクラブチームで活動していた。ところが、20年11月に佐野市に移住。現在は在宅勤務で、オンラインツールも活用しながら主に首都圏の取引先と商談をしている。
佐野市に移住した理由は、クリケットに取り組む環境として最高だからだという。国際規格のグラウンドがあるのは、日本では佐野市だけ。雨が降っても練習ができる環境があり、日本クリケット協会も本部を置く。
昨秋、クリケットが盛んなオーストラリアの地域リーグに約3か月間参戦する予定だった。コロナ禍で実現はしなかったが「クリケットに人生を捧げよう」と、帰国後はティーレックスを退社し、佐野市に移住するつもりだった。坂西会長に相談したところ「佐野に行ってもいいから、会社には残ってくれ」と懇願され、今の業務形態に至る。
平日は朝9時から仕事に励み、終わり次第、約3時間の練習に励む日々だ。「大阪では1時間かけてグラウンドに行っていましたが、今は車で8分くらい。協会のオフィスも近いし、相談しやすい」と充実感を漂わせる。“クリケットのまち”として地方創生を目指している地域の人々との交流からも、エネルギーをもらっているようだ。
「サポータークラブもあって、いろんな企業さん、身近な人が応援してくれる。佐野市の一体感というか、街の人たちが応援してくれて僕たちがプレーできているんだなと感じます。
飲食店で声をかけてもらうこともありますし、いろいろな人と話すのは面白いです。クリケットをバッティング体験してもらうイベントにも参加しましたが、『面白い』と生で言ってもらえるのが嬉しい。何も知らない人の生の声も大事だと思っています」