日本人がトリプルアクセルに惹かれる理由 世界3人目の成功者・中野友加里が語る魔力
中野さんを惹きつけた魅力「誰もやっていないことを成功させたい」
練習を始めたのは13歳の時だった。6種類あるジャンプの中で唯一前向きに踏み切って3回半回り、高い跳躍力と回転力が求められるアクセルジャンプ。のちに転倒の際に肩の脱臼をしたこともあるくらい難しく、当初は失敗の連続だった。
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「最初は“3回転半”ではなく“2回転半とちょっと”しか回らないところからスタートしました。日を重ねるごとに少しずつ回れるようになり、初めて練習で跳べたのは14歳の(2000年の)ジュニア世界選手権の公式練習でした。ただ、以降はチャレンジに恐怖心が芽生えてしまい、結果的に試合で成功させたのは17歳なので、3年くらいかかりました。一番、壁になったのは体型変化です。
今になってみれば、もっと小さい時からやっていたら……と思います。体重が軽いうちに跳べれば、その分、体型変化が起こる前に体に染み込ませることができます。今、ロシアには体が細く、軽いので難しいジャンプを跳べる選手が多いですが、体型変化が来ても体が跳ぶ感覚を覚えていることは大きい。体つきが少女から女性に変わっていくタイミングが重要です。そこを乗り越えたら、自分のものにできるので」
難しい課題に直面しながらも習得にこだわった中野さん。それほどまでに惹きつける魅力は何だったのか。
「幸い、私自身はアクセルジャンプが得意だったこともありますが、それ以上に大きかったのは『誰もやっていないことを成功させたい』というモチベーションでした。伊藤みどりさん、トーニャ・ハーディングさんからしばらく成功しておらず、私の時代に誰もいない技を身に着ければ、一つの選手の武器として魅了できると感じていました」
だから、17歳だった2002年グランプリ(GP)シリーズのスケートアメリカで17年ぶり、史上3人目の成功者となった経験は格別だった。
「世界で数人しか成功させていない技をISUの公式戦で認められたのは自信になりましたし、本当に大きな出来事でした。当時の成功率は8~9割。そのくらいの成功率じゃないと、本番で跳べないと学びました。5割では、まさに一か八かで厳しい。練習で100%できていたものができなくなるのが大会の怖さでもあるので、8~9割でなんとかできるかなという感じでした」
奥の深いトリプルアクセル。それを象徴するように4回転ジャンプを跳べても、トリプルアクセルが跳べない選手もいる。今のロシア勢にもいるし、日本人で初めて4回転ジャンプ(サルコウ)を成功させた安藤美姫もそうだった。
中野さんは「一番は得意、不得意の違いだと思います」と分析。アクセルジャンプが得意、不得意はどこで分かれるのか。
「これは、好きか嫌いかによると思います。アクセルは唯一、前向きに踏み切るジャンプ。(進行方向が見えて)多少の恐怖心があったり、タイミングが上手く合わずに高さが出なかったり。人間誰しも苦手意識が一度つくとなかなか拭えず、克服することは難しい。それであれば、トリプルアクセルで立ち止まっているより、4回転に挑戦して習得した方が成長は早いし、基礎点も高くなる。そういう背景もあると思います」
3回転ジャンプを5種類跳べるようになったら、次にトリプルアクセルか、4回転ジャンプに挑むかが習得の分かれ道になっているという。ちなみに、中野さんが現役時代、最も美しいと思っていたアクセルの名手を教えてもらった。
「女子では圧倒的に伊藤みどりさん。小さな体であのスピード、高さと幅。私は高さと幅があまりなく、回転速度で勝負していました。跳び始めたら急いで回転しないと3回転半回り切らない。伊藤さんは滞空時間が長く、跳び上がってから回転し、3回転半回ってから降りてくる感じ。まさに男子選手顔負け。今の時代でも出来栄え点は素晴らしいものを引き出すと思います。
男子ではエフゲニー・プルシェンコさん(ロシア)。パフォーマンスに華があり、注目される選手でしたが、ジャンプも圧巻でした。独特なジャンプかもしれませんが、技術が高かったので私はよく見ていました。どちらかというと幅よりも高さがあるジャンプを跳び、跳ぶ前の構え、腕の振り上げ方を見て、参考にさせてもらいました」