日本の勝利至上主義、トーナメント制、甲子園 ラグビー名将エディー氏がそのすべてを語る
ヘッドコーチを「監督」と呼ぶ日本…転換期の今、指導者に求められる「Guide」の役割
指導者の中には「勝ちたい、勝たせてあげたい」という気持ちが強すぎるため、練習時間が長くなったり、練習が必要以上に厳しくなったりするケースもあり、子どもたちのスポーツ離れの一因にもなっていると聞きます。ここで一度、スポーツが持つ本来の目的を思い出すといいかもしれません。
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本来、人々がスポーツをするのはレクリエーション(=気晴らし、娯楽、保養)のためでした。体を動かすなど、何か日常とは違うことをして、仕事や勉強などの気晴らしをする。そんな楽しさが伴うものなので、キツく長い練習でスポーツが嫌いになってしまっては元も子もありません。今ではスポーツ以外にもゲームやSNSなど数多くのレクリエーションが存在するので、子どもがスポーツを諦めて他のレクリエーションを選んでも不思議はありません。
元々、日本の長い練習スタイルは第2次世界大戦後の体育教育に端を発しています。戦後の混乱期にあった当時は、規律第一の教育が合っていましたが、時代は移り変わりました。より短い練習時間で子どもたちが勝敗を経験し、それに伴う楽しさを知るスタイルの方が、時代に合ったものと言えるでしょう。
かつて、日本ではヘッドコーチを「監督」と呼んでいました。今でも監督と呼んでいる競技はありますが、「監督」とは英語で「ディレクター(Director)」のこと。つまり、何をするべきか指図する人を意味します。もちろん、コーチもチームの指揮を執りますが、今はより「ガイド(Guide)」に近い「導く」という役割が求められています。何が重要なのか、どうしたら上達するのか、コーチが子どもたちを導く。「コーチ=監督」の時代から「コーチ=助言者、メンター」という時代に変わってきたのです。世界的に見ても、今は大きな転換期にあるでしょう。
私が東海大の指導者として日本にやってきた時、オーストラリアと大きな違いがあることに驚きました。日本ではコーチが選手の上に立つ構図ですが、オーストラリアではコーチと選手の立場は同じ、共に歩んでいくイメージでした。さらに興味深かったのが、選手もまたすべて指示されることを望んでいるのです。子どもの頃に指示されて育ってきたので、大学生になっても指示を待っている。逆に指示してもらえなかったら、指導してもらえなかったと思ってしまうのです。
そこで私は選手に対するアプローチを少し変えることにしました。事前にその日の練習メニューを発表しないようにしたのです。それというのも、試合で勝つためにするはずの練習が、上手く練習をこなすための練習になっているように感じたからです。試合では何が起こるか分からない。だからこそ考える力が必要ですし、それを練習で養わなければならない。型どおりの練習を上手くできても意味がありません。
以前、あるラグビーコーチが練習中ずっと「ミスをするな。ノーミスだ!」と怒鳴っている姿を見ました。ミスをしてもいいのです。ミスをしなければ分からないこともありますから。私は「70%の成功と30%の失敗」が人間の学びを促す比率だと考えています。成功と失敗から得る学びのバランスが大事。そこに成長のカギがあります。