「続けるも辞めるも怖かった」引退までの葛藤 フィギュアスケート・鈴木明子の今
今のフィギュア界に思うこと「これでいいのかなという危機感はあります」
きっかけは、ある時の講演を聞いた参加者から届いた声だった。
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「あなたの講演を聞いて、自分がやりたかったことは何だったんだろうと考えて、一歩踏み出せました」
鈴木さんは「たった1人でも、何百人いる中の1人でも、少しでも何かマインドにかかわれたら、それってすごいことなのかもと思えた」と言う。
「それまでは選手の時のように来てくださる何百人という全員の心に響くものを伝えなきゃと背負っていました。でも、私の話で何百人のマインドを変えるなんてできない。『1人でも響いたらいいじゃん、それが何人かに増えたら』と思えるようになったら『何を私は今まで自分を大きく見積もっていたんだろう、そんな器じゃないじゃん』と気づいて。そうしたら、すごく楽しいと思えるようになったんです」
鈴木さんの現役人生はよく“遅咲き”と表現される。しかし、それは花が咲くまで決して努力をやめなかった証しでもある。同じように、引退後も一つ一つの気づきを大切にしながら、壁を乗り越え、今の鈴木さんがいる。
もちろん、今のフィギュアスケート界から想いが離れたわけではない。
特に、女子はトップ選手の低年齢化の流れが止まらない。18年平昌五輪を当時15歳のアリーナ・ザギトワ(ロシア)が制し、以降もロシア勢を中心に10代中盤の選手が世界のトップに君臨。激しい世代交代に伴い、競技寿命の短命化が問題視され、シニアの年齢引き上げも議論されている。
そんな状況は努力の成果を実らせ、20代でピークを迎え、29歳まで現役を続けた鈴木さんの目には、どう映るのか。
「男女ともにソチ五輪の後、特にジャンプのレベルがぐっと上がりました。スポーツとしては技術レベルが伸びていくことは良いことであり、それによって記録がどんどん伸び、進化していくことはスポーツの在り方と思います」と言った後で「でも、一方で……」と言葉を繋ぎ、「選手たちが選手生命を縮めてしまい、本当に一瞬だけの輝きに終わってしまうような……。これでいいのかなという危機感はあります」と付け加えた。
「短い中で、ぎゅっと濃縮した選手の時間もあるのかもしれませんが、長く続けていくと、フィギュアはただ跳んだり回ったりするだけではなく、曲があり、表現をしていく中では経験したこと、苦しかったことを乗り越えたことが出てくるし、人にも伝わる。滲み出てくるものは経験しないとわからないことだったり、もちろん高難度をやれば怪我も多くなるし、そういう意味で、本当はフィギュアスケートが好きで頑張っていると思います。
でも、好きだったものが一瞬の輝きで終わったしまうことは、すごく儚くて……。『儚い』という言葉を使うと綺麗に聞こえるかもしれませんが、そうではない。指導者もその時だけ成績が残せて、次が出てきたら『はい、次』と使い捨てのようにするのではなく、『まだやりたいのに』と悔いを残して退くのは次の人生に向かう上でも苦しい。好きなことは自分がやれるところまで、とことんやり切って終われる選手が多くなってほしいです」
自分らしく、第二の人生を前に進んでいる鈴木明子さん。今も想いは、フィギュアスケートとともにある。
(18日掲載の後編は「鈴木明子さんが語る摂食障害の怖さ」)
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)