「30回やっても勝てない相手」が本気で挑むW杯 “1-0”に潜む日本と世界の差
「30回やっても勝てないかもしれない相手が、最後は1-0で終わろうと必死でした」――名波浩
初出場の98年W杯初戦、強豪アルゼンチンに名波浩が感じた“残り15分の本気”
「30回やっても勝てないかもしれない相手が、最後は1-0で終わろうと必死でした」――名波浩
日本サッカーの歴史を振り返れば、特にアマチュア時代は極端に国際Aマッチが少ない。例えば現在のキリンカップも、「ジャパンカップ」という名称で産声を上げ、欧州、南米からクラブチームを、アジアからは代表チームを招待する国際トーナメントだった。1990年代に入り代表チーム参加のトーナメントに変わっても、開催時期やコンディション面を考えれば、どこまで真剣勝負になるかは未知数だった。
1995年から97年フランス・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の途中まで指揮を執った加茂周監督も、当時の日本代表の実力を、こう慎重に表現している。
「日本で戦えば、ブラジル以外には、なんとか勝てる可能性のあるチームになった」
確かにこの頃の日本は、「キリンカップ」でユーゴスラビア(当時)、メキシコ、クロアチアなどの強豪国を倒して優勝していた。
一方、それだけに1998年フランス大会でW杯初出場を果たすと、そこでは強豪国と掛け値なしの「本気」と対峙できると、選手たちも楽しみにしていた。
フランスW杯で、日本はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカの順で対戦することになった。当時の岡田武史監督の目標は「1勝1敗1分でグループリーグ突破」だったので、最初のアルゼンチン戦は負けも想定内という見方もできた。