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誰よりも三河を愛した男 桜木ジェイアールが過ごした19年間「一番大事だったのは…」

昨シーズン43歳になったバスケットボール界のレジェンド・桜木ジェイアールは、一篇の詩のような美しい言葉でファンに別れを告げた。

2019-20シーズンをもって現役を引退した三河シーホースの桜木ジェイアール【写真:(C)SeaHorses MIKAWA co.,LTD.】
2019-20シーズンをもって現役を引退した三河シーホースの桜木ジェイアール【写真:(C)SeaHorses MIKAWA co.,LTD.】

43歳で現役引退、三河シーホースで過ごした19年間とは

まさか、こんな形でシーズンを終えるとは思いませんでした。
まさか、ひとつのウイルスが私たちの生活を変えると思いませんでした。
まさか、最後の試合が無観客になるとは思いませんでした。
まさか、日本でバスケットボールをプレーするとは思っていませんでした。
まさか、シーホースで19年間もプレーするとは思いませんでした。
まさか、数えきれないほど優勝できるとは思いませんでした。
まさか、日本でこれほどたくさんの方と深い絆を結べるとは思いませんでした。
しかし、いつか引退する日が来ることは分かっていました。
そして、ついにその時が来ました。
ここで過ごしたすべての瞬間を愛おしく感じます。
みなさんとつくったこの思い出は、これからもずっと皆さんと共に生き続けます。
願わくば、シーホースの未来への強固な土台を築く一助になれたと信じます。
永遠にシーホースの一員です。
みなさん、愛しています。
ミスターシーホース

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 昨シーズン43歳になったバスケットボール界のレジェンド・桜木ジェイアールは、一篇の詩のような美しい言葉でファンに別れを告げた。

 2001年に来日した元NBAプレーヤーは、以降19年間シーホース三河一筋を貫き、710試合に出場。キャリア通算1万991得点6011リバウンド2708アシストを積み上げ、9度の天皇杯制覇、6度のリーグ優勝の計15個のタイトルをクラブにもたらした。“常勝軍団・三河”の歴史を築いてきた“ミスターシーホース”が、人生の約半分を過ごした三河での日々を「THE ANSWER」に語った。

 ◇ ◇ ◇

 スポーツ選手にとって、才能や実力もさることながら、良い出会いに恵まれるかどうかは成功を大きく左右する。同様に指揮官にとっても、自らの哲学を体現することができる選手と出会えなければ、チームを成功に導くことは難しい。

 桜木が最も感謝していると語る、三河の鈴木貴美一ヘッドコーチ(HC)との出会いは、実に幸運で、幸福なものだった。両者のその後のバスケ人生を劇的に変えただけでなく、シーホース三河、そして日本バスケ界にも大きな功績を残した。

「自分はもともと忠誠心が強く、気に入ったチームが見つかるとそこで長くやりたいという気持ちがありました。だから他のチームに移籍することは考えませんでした」という桜木だが、鈴木HCとの関係が最初からうまくいったわけではない。

「今でもよく覚えているんですけど、最初の頃に2度、鈴木HCが練習を止めて、自分を注意したことがあったんです。自分は、良いことばかりではなく悪いところも言ってくれるのが本当の友達だと考えているので、そのことがあってより一層絆が深まりましたし、彼のことを好きになると確信しました」

 19年間共闘した鈴木HCから掛けられた言葉で心に残っているものを聞くと、「言った言葉よりも、言わなかったことの方が印象に残っている」と語る。

「それまでのキャリアでは、必ずHCとの間に問題が生じていました。自分はどうしても感情が顔に出てしまう性格なので、表情や仕草に対してHCからネガティブな言葉を言われることが多くありました。そのこともあって、NBAではあまり楽しくバスケができなかったんです。

 鈴木HCは、そういう自分の性格を理解して、自分が嫌な顔をしても何も言わず、自分らしいプレーをさせてくれました。だから彼のもとではリラックスして冒険することができ、バスケを心から楽しむことができました」

 自分らしくバスケを楽しむことができた桜木は、加入した翌年の2002年の天皇杯で、指揮官に初のタイトルをもたらした。そのことは互いの信頼関係をさらに強固にし、三河愛を揺るぎないものにしていった。

「素晴らしい気持ちを一緒に味わったことで、鈴木HCとの仲がより深まりました。クラブやファンの方たちが初めて優勝した時にとても喜んでくれたのを見て、三河は自分にとって特別な場所だと思いました。その素晴らしい気持ちをまたみんなで味わいたくて、『また勝ちたい』『もう一度優勝したい』『このチームを強くしたい』という気持ちになりました。常に優勝を目指して戦ってきましたので、個人的な数字よりも、優勝した回数が自分の誇りです」

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山田 智子

愛知県名古屋市生まれ。公益財団法人日本サッカー協会に勤務し、2011 FIFA女子ワールドカップにも帯同。その後、フリーランスのスポーツライターに転身し、東海地方を中心に、サッカー、バスケットボール、フィギュアスケートなどを題材にしたインタビュー記事の執筆を行う。

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