陸上経験ゼロの37歳社長がアジア金メダル 「本気」になった男4人の9か月の挑戦物語
難しかった練習時間の確保、裙本は伊藤&秋本の指導で走りがみるみる変化
「最初は『何を言っているんだろう?』と思ったけど、伊藤さん、秋本さんの働き方を見ていて、ずっと素晴らしいと思っていたし、裙本さんという上場企業の社長さんも一緒に挑戦する。これは面白そうだなと」。そう感じた仁井の予感は、的中する。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
とはいえ、一筋縄でいくような挑戦ではなかった。「難しさはみんな、それぞれに仕事があること」と伊藤が振り返った通り、それぞれの分野で多忙を極める4人。問題となったことは、練習時間の確保だった。
とりわけ、社長業を務める裙本は日中の通常業務のほか、夜は連日のように会食がある。しかも、会社を上場させようという重要なタイミングとも重なっていた。そんな中、それまで日課としていたランニングの時間を練習に充てた。朝7時40分から1時間、週3日。坂道ダッシュを150メートル×4本など走り込み、日によっては出社してから代々木公園へ練習に向かうこともあった。
当初は短距離トレーニングの初歩に起こりやすい、脛の内側の痛みに悩まされた。それでも「他のメンバーはみんな速い。僕だけ遅くて、足を引っ張ったらまずい。迷惑をかけてしまう」という思いで必死に取り組んだ。それに触発されるように、伊藤、仁井も追い込み、秋本は妻と娘が寝静まった夜9時半からジムでウエイトに励み、帰りに坂道を探してダッシュを繰り返した。
裙本のタイム短縮も課題だった。月2度は伊藤、秋本が直接指導し、走り方のフォームを見直した。「剣道は後ろ足で踏み込むので、必要以上に左足を後ろへ蹴り出してしまい、体の後ろで足が回転する癖を修正した」と伊藤。多くのトップアスリートの走りを変えてきた指導の効果の大きさは、裙本も体で感じた。50メートルは6秒5を記録。時を追うごとにタイムは着実に短縮した。
「走りの概念が変わった。足を接地して蹴り出す力強さが必要と思っていたけど、アキレス腱を使えばバネみたいにグーンと伸びていく。走りの感覚が変わっていく体験が得られた」
8月には前哨戦として北海道マスターズに出場し、そのまま合宿も実施。普段、北海道を拠点としている仁井は裙本と初めて対面し、バトンパスの呼吸も合わせた。こうして1歩ずつ前進し、迎えた12月の本番。4人はマレーシアに渡った。先に行われた個人の100メートルは秋本が優勝、仁井が4位、伊藤が決勝進出。裙本は自己ベスト更新とそれぞれが実力を発揮し、大本命に挑んだ。
400メートルリレー決勝。「バトンミスさえしなければいける。緊張感はなかった」と秋本。4人には自信があった。
号砲が鳴る。抜群のスピードで飛び出したのは、最年少の仁井。現役時代から売りだった加速力で先頭に立った。2走の秋本は4人の中で最もハードなトレーニングを積んだ成果を生かし、リードを広げた。3走の伊藤が元オリンピアンの実力を発揮して先頭のまま、アンカー裙本にバトンパス。ここでやや手間取ったが、練習で培ったフォームは大舞台でも崩れず、懸命に足を回した。
そのままリードを保って先頭でフィニッシュ。タイムは44秒91、目標としてきた「アジアNo.1」を成就させた瞬間だった。
「感動して泣きました。100メートルの優勝よりずっとうれしくて。僕が誘って忙しい4人がトレーニングして最高の結果になってめちゃくちゃ嬉しかった」と秋本。未経験から目標達成した裙本は「スタート位置で隣は海外の選手で、もちろん全員が陸上経験者。すごくワクワクした。長距離と違って、短距離のリレーはスタートして1分以内で決まる。自分のパートは10秒で終わる。その分、喜びの爆発力が大きい」と振り返った。
表彰式。賞状を手に金メダルを胸に提げた4人の表情には、これ以上ない充実感が滲んでいた。