鎌田大地は中学時代に苦しんだ 身長25cmアップ、元スカウトが見た才能“開花”前の葛藤
上のカテゴリーに昇格できない選手をいかにサポートするかが重要
「鎌田大地くんとはご縁があって、私も彼も愛媛県出身なんですね。ガンバのジュニアユースで受け入れることになったんですが、当時ガンバにはまだ寮がなかったんです。ご両親には『それでも大丈夫ですか?』と伺ったところ、『岸和田の親戚の家から通います』と。
大阪南部の岸和田からガンバの施設がある吹田までは、片道1時間半~2時間はかかってしまう。全く知らない土地へ引っ越して、誰も知り合いのいないところで学校に通い、親戚の家で暮らす気苦労もあったはず。四国の愛媛から出てきて、13歳の少年がそうした環境に慣れるのはとても大変だったと思います。
当時から感覚的に素晴らしいものを持っていたのは、もう間違いなかった。でも怪我が結構多かったんです。ボール扱いは上手いし、技術もあるんだけど、怪我が多くてなかなか試合で起用できない。あと、この中学生年代に身長が一気に25センチも伸びて、身体の成長に動きがついていかないジレンマを感じていたと思います。動きがスローになってしまうような時期があったんですよね」
結果としてG大阪ジュニアユースからユースへの昇格は叶わなかった。でも鎌田はへこたれない。高校時代は京都府の東山高校を新天地に選び、プリンスリーグ関西で得点王に輝くなど少しずつ頭角を現していく。そしてサガン鳥栖から声がかかり、入団初年度からトップチームでプレーするチャンスをつかんだ。育成というのはその時だけで完結するものではないし、自分のクラブを去ったから、それで関係や関心が途切れるわけでもない。二宮たちもクラブを去る選手のために、できるサポートを苦慮していた。
「私たちの選手への関わりというのは、彼らの人生全体の長さからしたら一瞬かもしれないです。でも一瞬の付き合いでしかないかもしれないですけれども、彼らの目標や夢設定を聞いてクラブとしてできることはやってあげたい。ジュニアユースからユースに上がれない時、ユースからトップに上がれない時に、子供たちの夢をまず再確認して、その夢や目標を達成するためにどんな進路や選択肢があるのかというところでサポートしてきました」
選手の成長は様々だ。スピードも、どの道を進むべきかも、それぞれ違う。誰がどのクラブ、どの高校が合うかも様々だ。自身の性格、特徴、指導者やクラブとの相性。様々なことが絡み合い、その中で選手が育まれていく。
「それぞれの選手に、それぞれのストーリーがあります。鎌田大地は高校へ行って、そこからプロになったというストーリー。本田圭佑と似たような感じですね。あるいは堂安(律)なんかはガンバで上がっていって、でもU-23の頃は試合に出られない、そういう不遇の時期もありましたよ。そこでまた這い上がって、それから海外へ行きましたね」