「僕自身バカにされていた」 ボトムアップ提唱者、森保流に感じた“日本型指導”の変化
勝利至上主義は根深いが「少しずつ時代が変化」
――2006年に広島観音高サッカー部が全国高校総体で優勝して、ボトムアップ理論が注目されましたが、その後は広がっているのですか。
「メディアでも紹介され、実際に見学に来て部活動に取り入れる学校もあります。経営に取り入れる企業もあります。ただ、思ったほど広がりませんでした。ずっと続いていたトップダウン100%的な日本のスポーツ文化とはまったく逆なので、選手主役なんてウソじゃないか、という声も聞こえてきました。生徒がメンバーを決めて簡単に勝てるはずないだろとか、週に2回の練習で成果なんて上がらないだろうから、本当はもっとやっているんだろうとか。僕自身もバカにされていた。勝たないとメディアも離れていきました」
――勝利至上主義は根深いですね。
「しかし、少しずつ時代が変わってきたと感じています。大きく動いたのは、2012年に大阪の桜宮高でバスケットボール部の生徒が顧問の体罰を苦にして自殺してしまったという、痛ましい事件が起きた頃です。上位下達のトップダウンで行き着く先は体罰やパワハラで、選手が苦しんでしまう。パワハラをなくすためにボトムアップを広めたいという思いがある。現場や選手の声を聞き入れることは、体罰や恫喝、暴力とかのパワーで押し込めることをなくすことにつながりますから。近年ではバレーボールの益子直美さんが『監督が怒ってはいけない大会』を開催するなど、スポーツ界を取り巻く雰囲気が変わってきている。さらに、W杯で成果を出した森保監督がボトムアップ方式ということで、今はすごくいいターニングポイントだという感覚があります」
――森保監督は自らボトムアップ方式にたどり着いたようですが、これには個人的な資質が必要なのでしょうか。
「僕も元々はトップダウン気質なんですよ」
――えっ!?
「ああしろ、こうしろと選手に言いたくなってしまう。それを修正してくれたのが、恩師の浜本先生。ボトムアップのルーツになった方です」
浜本敏勝さんは、畑さんが小学生の時に通った広島大河フットボールクラブの創設者だ。選手が自ら考えることを重視する指導法で、ボトムアップ理論に大きく影響している。クラブからは木村和司さん、森島寛晃さん、田坂和昭さんら日本代表やJリーガーが育っている。畑さんは広島の県立高校教員になった直後、クラブで後輩を指導した時期もある。