“大人っぽい”日本の子供と自主性の欠如 欧州に比べて足りない「自己評価」する環境
評価軸が一つではないドイツの保護者面談
自主性を身につけにくいのだろうか。もちろん一例でしかないし、そうではなく、人間関係を上手くやっている子供たちも、そのために尽力されている教師や指導者の方々もたくさんおられるだろう。
ただ、日本は一方通行のやりとりが多いのかもしれない。自己肯定感というか、子供たちが自分を自分で評価する力を育める環境がどれだけあるだろうか。教師や指導者からの評価と子供たちの評価を突き合わせてみるという機会が、日本だと少ないのかもしれない。
ドイツの保護者面談では先生や指導者から評価をされておしまいではなく、子供が今どう自分を思っているのか、どこが上手くいっているのか、どうなりたいのか、どこを改善したらいいかを自己評価分析をしてもらうし、そのなかでお互いに方向を見つけてというやり方をしたりする。つまり評価軸が一つではないのだ。子供自身、自分の見方、考え方という自己的な評価をして、それに外からの評価を照らし合わせる。
そうしたものを一度バラバラにして、それを自分で整理してというのをやっていく。それを小さい頃からやっている。だから子供らしく成長しながら、でも自立するための道を歩んでいる人が多いという印象を受けるのだ。
似たような話で、サッカー育成指導者のエキスパートである池上正さんが次のように指摘をしていたことがある。
「日本人の文化的に、みんな一緒でいることがいいと思っている人がまだ多い。それは一つの良さ。だからそれをなくさないまま、その中でも一人ひとりが自分の意見をちゃんと言うというのが出てくると、日本的な良いチームになれるのかなと思うんですね。
『自分はこうだから』と言ってそれぞれが勝手気ままにやるのではなくて、みんなで一緒に動きながらも、その中でそれぞれが自分のことを出すことができるようになったら、日本的な自立、自主性が求められることかなという気はしますね」
“多数決=民主的な解決”ではない。少数意見にもリスペクトをもって耳を傾けながら、ある程度は時間をかけてじっくりとみんなで解決策を練る機会を小さな頃から持つことは、子供たちの成長にとってとても大事ではないだろうか。
(中野 吉之伴 / Kichinosuke Nakano)